satoの数学小説シリーズ「真理の森の数学セミナー」絶賛更新中!

「赦し」とはどういうことだろうか?

「赦し」とはどういうことだろうか?

おはようございます、satoです。

今日は「赦し」について色々深く考えたことを書きたいと思います。

自分を極度に憎んで苦痛を与え、 害を加えた人を赦すことも どれほどたくさん時間がかかることか分かるか。
自分の子供、自分の夫、 自分の妻を殺した人を赦すことが どれほど時間がかかることか分かるか。
赦したことがないから分からない。 この世の大半の人たちは そのような大きな罪を犯した人は赦せない。-摂理の御言葉「赦し」より

赦し。
これが最も難しいことである、というのは承知しています。

私自身、昔いじめられていたり、悪口を言われたり、色々ひどいことをされてきました。
時には命に関わるようなこともありました。
そのことを、今は気にしていないけど、それは果たして赦したことなのだろうか?と思うのです。

もし、あの時自分にひどい目を合わせた人に今会ったなら、果たして私は「心穏やかに」過ごせるのだろうか?
もちろん、あの時の恐怖、不安が襲ってきて、心が安定しないと思うのですが、それだけでなく、その人に対して「怒り」とか「憎しみ」が湧かないだろうか?

それを、ふと考えます。

今、私は下は小学生、上は大人まで色々な人に数学を教えています。
いろんな人と話していますが、時には自分の話を聞いてくれなかったり、態度が悪い人もいます。
そういう人に対して言葉で注意はするけど、その後は水に流すように気にしてなかったりします。

果たして、これはその人を「赦した」ことなのでしょうか?

私個人として、これは赦しとはちょっと違うと思います。なぜなら、それは「他人」のように接しているから。
無論大切な人(家族や恋人)とは違いますが、彼らは「赤の他人」ではなく、「教える対象」であり、もう少し踏み込むなら「共に学び合う友人」でもあるのです。(そう考えて私は教えています。なので、ある意味では「対等」なのです)
そういう人に対して、自分が教えていることを聞かず、適当にやっているのを「注意こそすれど、そこまで気にしない」のは「赦し」というよりはむしろ「放棄、諦め」に近い感じがします。自分の責任の放棄という感じです。
かと言って「言うことを無理やり聞かせる」のも当然何か違うのですが、それに対する有効な手立ては今のところ思いついていません…。先輩方にも一応相談はしているのですが…(´・ω:;.:…

ちゃんと聞いてくれている子、時にもっと深い質問や私の気づかなかった間違い、曖昧なところを指摘してくれる子もいて、本当に嬉しいのですが、それだけでなく「全く聞かない子」もしっかり注意して解決していくのも大事です。
あと、これらの極端な子たちだけでなく、「話はしないけどちゃんと真面目に受けている、目立たない子」にも。
そういうところを身に着けないと、今の職場では仕事が務まらないのです。

そういった「外れた人」のために労苦し、もっと頑張ること…例えば分からなければしっかり教えたり、「聞かない子」にはしっかり(叱るだけでなく)話をしたり、そういうもがきこそが「赦し」である、というのが上に引用した御言葉で話されたことでした。
でも、これは易しいことではありません。

実際、神様も私達が何度もうまくいかないからと言って「じゃあ、君はそういう人なんだね」と離すことなく、むしろ深い御言葉を何度も与え、私達が出来るようにしてくださっています。私も何度同じ過ちを犯したのか…。でも、これが易しいことではない、と少しは理解しました。
まずは、私自身が今の現場でこのようなもがきをしてみてこそ、もっと赦しについて深く悟れるのではないか、と思いました。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

日常生活カテゴリの最新記事