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「表現」に命をかける人たち

「表現」に命をかける人たち

おはようございます、satoです。

今年の目標が「大胆に行う」ことである、私。
今年したいことの一つが「表現者」としての更なる変化です。
私はどちらかと言えば「色々なことを俯瞰して分析する」研究者タイプの人なのですが、その一方で「何かを作る」ことにも強く興味があります。
それで、色々なことをしていました。その一つが物語であり、昨年二回ほどやった「ダンスの創作」であり、また「ジャグリング」なのです。

私自身は「自分の世界に入る」タイプなので、演劇もチアも得意です。
賛美をするときは、特に最近の新しい歌ほど「その曲の背景にある世界」をイメージして入ることが多いです。
それが物語になり、ダンスになり、またジャグリングにもなるのですが、根本にあるのが「自分が見た世界/見える世界を見せたい、表現したい」という意欲です。

ところで、現在私は教育系の仕事をしているため結構忙しいです。
そして、本分は研究者なので研究もしなければなりません。その中で何か作品を作るのは傍目から見たら結構難しいです。
私も何度も願いつつ、現在の仕事の忙しさに追われてほぼ何も出来ていませんでした。

表現者に通じる言葉

そこで、昨年の11月に摂理で創作活動をしている何人かの人に「どのようにして作品を作っているのか」尋ねてみました。
特に研究者でありながら、絵やBSアニメを作成しているMiKさんには一度質問したかったのですが、偶然対面できたタイミングでこのことについて質問しました。
MiKさんを含めて幾つかの人が共通して話していた言葉が

「命を懸けなさい」

という御言葉でした。具体的には少し思い出せませんが(メモしたノートが見つからず…)、摂理にいる芸術家に向けての御言葉でした。
摂理における芸術は「神様を表現する」ためにあり、そのことに命を懸けて行っている人たちがいます。
徹夜で作業する、ということもあります。

「命を懸ける」ということは研究者にも通じます。
数学の世界でも

「朝起きた時に,きょうも一日数学をやるぞと思ってるようでは,とてもものにならない。数学を考えながら,いつのまにか眠り,朝,目が覚めたときは既に数学の世界に入っていなければならない。どの位,数学に浸っているかが,勝負の分かれ目だ。数学は自分の命を削ってやるようなものなのだ」-数学は体力だ!-筑波大学理工学群数学類/大学院数学専攻

という佐藤幹夫さんの言葉があります。
実際、私が以前論文を書いていたときには徹夜して結果を必死に模索して行い、精神的にすごい状態になりながら書きました…^^;

紅白歌合戦でのある出来事

「紅白歌合戦」のある出来事を見た時に、この「表現に命を懸ける」という言葉を思い出しました。
それが、欅坂46のメンバーがステージ上で倒れたことです。こちらのニュース(リンク先は朝日新聞の記事)をご参考ください。

あらましを説明すると、欅坂46は紅白で「不協和音」という曲を披露しました。
この直後に総合司会の内村光良さんとのコラボで再度「不協和音」を踊った際、終了直後に鈴本さんが後ろに倒れた他、センターの平手さんも痙攣していたのが写っていました。
直後、平出さん、鈴本さんを含めた3人が看護師に手当を受けたのですが、そこで「過呼吸」状態になっていたことが判明したのです。

この欅坂46はアイドルでありながら「反社会的」といいますか、「既存の観念に対する抵抗」を歌っていることで話題となっています。
この「不協和音」という曲も曲調、ダンス共に激しく、相当に精神を使う曲であると感じます。
私もチアを捧げた際、特に激しい曲だと非常に疲れるのですが、それとはまた違った「疲労感」があると思います。
まさに「命を懸けた」パフォーマンスだったのです。

命を懸けた表現は、人を感動させます。
甲子園が感動するのは、高校球児が全力でプレーするからですが、それと同質のものがあります。

私は以前から「命を懸けた」人をとても尊敬していました。
昔挙げていたのは「両目を失いながら、死ぬときまで数学をしていた」オイラー、そして「自らの命を賭して曲を作り上げた」岡崎律子さんでした。

結局、私もまた「命を懸けた表現」をしたいのです。
それが何であれ、「命を懸けたい」のだと思います。
だから、今年の私は「何か作る」ことをしたいです。
とはいえ、それが「独りよがり」であってはならないので、神様に祈って得た構想を一つ一つ実現していくべく、まずは神様に祈ることに命を懸けられるようにしたいと思います。

 

余談。
実際に「不協和音」を聞いて思ったのは、本当に「この曲は魂を削って作られた」ものなんだな、と感じました。
それと同時に、センターの平手さんを見てると「危なさ」を感じました。
というのも、おそらくあの人は(私もそうであるような)「敏感な人」でないかと推測したからです。

「敏感な人」は見えないものを感じ取り、それを自分のものにしてアウトプットするのが得意です。
そういう人だから「不協和音」の世界を完全に再現できたのだと思いますが、同時にあの世界を表現するには「刃の上に立つ」ような精神状態が必要とも感じました。
体力、精神力共に使い果たしたのが「紅白歌合戦」での出来事に繋がったのだと思います。(単純な疲労で「過呼吸」にはならない、と素人ながらに思うので)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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