こんばんは、satoです。
最近色々キャパシティオーバー気味で、不安が溜まっていました。
研究や仕事は割と順調に進んでいるのですが、別のところで悩ましいことがありまして。
私の課題は「相談」なのですが、このことについてもいったんすべてのことをクリアにして神様と相談しないといけないなと思いました。
それで、そのことを祈りつつ少しずつ心が開けてきました。
その時、私の教会では本日賛美大会をしていました。最近伝えられた御言葉で「神様に栄光を帰そう!賛美を捧げよう!」という流れがあったので、各自が神様との経緯がある賛美を歌っていくことになったのです。
人は歌を聞くと上手い下手を評価しますが、神様はただ「神様に向かう心」を見て賛美を受け取られます。だから、賛美をするときは「ただひたすら神様を意識して」しなさい、という御言葉を聞きながら、私も神様だけを意識しながら賛美をしていました。
よくよく考えたら、私も結構賛美を捧げながら人を意識していた気がします…。
私は韓国語で賛美を歌いたいのですが、「韓国語の意味がよく分かっていない…」とか「自分一人だけ韓国語でいいのかな…」と気にしながら歌っていた気が、ここ最近はしています。
そもそも、韓国語だとうまく自分の言葉になっていないことも気にしてます。あと、私の声は「人より通る」ために後ろにいても目立つんですよね…。
(これは賛美だけでなく、祈りでもそうで…;つД`)私の祈りは結構聞かれてるみたいです…)
むしろ、韓国語で賛美をするようになってから人を意識することが多くなっていた気がします。
教会で捧げる時でなく一人で捧げるときはまた違いますが…このときは人を意識せずに捧げられます。
こんな葛藤はありますが、それでも韓国語で捧げたいのには理由がありまして。
月明洞に行ったときには韓国語で賛美を捧げるから、というか、韓国語で捧げたいからなんです。
摂理の賛美は鄭明析先生のいる韓国で作られたものが多いので、やっぱり本場の言葉で捧げたい、特に月明洞では…という思いです。
話を賛美大会に戻しまして、私が選んだ賛美も月明洞に行ったときにたくさん歌ったものでした。
あれは2年前のことで、当時私の信仰状態としては割と底の方にいたときでした。その時は本当に私が来ていいんだろうか…と思いながら来ましたが、実際に人を通して、また直接霊魂で天が共にしてくださいました。
その時は一人で行動する時間が多く、ただ天だけを見て野心作で賛美を捧げたり、雪の中を探索していました。
その時、主がずっとそばにいてくださっていたことを感じていました。食事の時も、散策の時も、行事の時も…。
その時会ったある人から「摂理に来れて良かったね」と言われました。
この言葉にとても感動したことを、今でも覚えています。あの頃も、その前も、ずっと一人で苦しみ悩んで、世の中の虚しさを感じながら苦しんで生きていたところから、摂理に呼ばれていたから…。
私はどうしても人と馴染めなかった、人と心の奥底から共感できなかったところがありました。
そんな私を、摂理は受け入れ、心から共感できる人と出会わせてくださり、すべてをご存知の神様と出会えるようにしてくださいました。
そう、天との愛がなければ、私は虚しい世の中で一人苦しみながら生きていたでしょう…。
そのことをまさに表現した賛美、それが「天国実現」でした。
この賛美を月明洞に行ったときにたくさん捧げていました。
この賛美を今日捧げてた時、この経緯と共に「私が摂理にいる理由」を思い出しました。
そう、私は虚しい愛の世界で生きていたのが苦しくて、本当の愛を求めていたのでした…。
その愛に出会えたのが、摂理だったのです。
経緯を忘れたから、喜びが消えたのだ。
という御言葉がありましたが、まさにそうでした。虚しい愛とは異なる、本当の愛。神様の愛。
これに出会えた喜びを噛み締めながら、もっと自分を、摂理を大事にしていきたいです。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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