書いてみて思った「小説」と「脚本」の違い

おはようございます、satoです。

以前教会のクリスマス会に天に栄光を帰す舞台での「寸劇の物語」を作りました。
今までも物語は書いていましたので、ストーリーを作るのは問題ありませんでした。すでに一度小説を使って寸劇をしていたこともありましたので…。
本当は以前既に描いた物語をアレンジしようと思いましたが、思い切って新しい物語を作成しました。

ところで、今回本格的に寸劇の物語を作っていたのですが、最終的には「脚本」を作ることになりました。
それで、私が感じたのが物語を書くのと、脚本を書くのはまた違うのね!ということです。

私の小説は「天使に解説させる」ことが多いのですが、それは「状況を説明する」必要があるからです。
もっと言うと「小説」は全ての出来事を「言葉」によって説明しなければなりません。だから、主人公のセリフや対話から分かりにくいことは地の文で説明をしないといけなくなります。
ところが、脚本は「物語の流れ」はさておき演者や裏方がどのように動くのかまで書く必要があります。つまり、BGMはどのタイミングで流すのか、どこで切り替えるのか、その辺りまでしっかりと書かないといけないのです。
これに全く慣れていなかった私は、直前まであまりこの辺りを詰められずうまく動かすことが出来ていませんでした…(´・ω:;.:…
いやー、脚本を作る人はスゴイですね…。

そもそも、この物語を書くきっかけは

「御言葉を一分間でまとめる時に物語風にしたほうが理解しやすいから」

でした。それが高じて「一人寸劇」をすることもありました(笑)
一人なら完全に状況を把握しているので、言葉にしていないところまで表現できますが、これを皆で演じるならば「言葉にしていないところ」もうまく言葉にしないといけないので、もっと変わります。
こう考えると、本当に演劇を作るというのは高度なことをしているのだな、と悟りました。

ちなみに、私の物語は本質的には「マンガのネーム」に近いところがあります。小説、というにはセリフが多いのですが、それは私のイメージしているところが「キャラの対話によって成り立つマンガ」だからです。よって、言葉にできない動きが多く、これを如何に言葉にしていくのか、が課題です…(´・ω:;.:…これも研究ですね。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。