一年経って実感した私の成長:私の『困った』は才能だった。

こんばんは、satoです。

昨日、一年ぶりに私の心の状態を振り返る機会がありました。
一年前は色々なことに敏感で、不安だった私。
何か変化があるたびに心が不安になり、
何か間違ったことをしてしまうたびにそれをいつまでも気にしてしまい、
人の目を気にして、話したいことも話せず、
いつも心に負い目を感じて生きていました。

たくさん困っていることがありました。
人とうまく話せないこと、変化に敏感なこと…。

でも、昨日私の心を振り返ると

ほとんど困ったことがなくなっていました。

状況の変化に敏感だったり、変化が苦手なことはそこまで変わっていません。むしろ、それはハッキリしていました。
ただ、それを「困った」と感じなくなっていたのです。

それはどうしてか?
一番は…一年を通して神様の愛をたくさん受けてきて、心の器が大きくなったから、と感じます。
「神様が私を愛してくださっている」。そのことを深く悟り、今まで嫌いだった自分が嫌いでなくなり、
足りないところ、直っていないところもあるけれど、その自分を認めて愛してあげ、前を向けるようになりました。

また、たくさんの経験を通して自分の話したいことを話せるようになったり、失敗した後もフォローをすれば大丈夫、失敗することを恐れるより最善を尽くすこと、など大切なことを学びました。

この一年間を通して様々なことを行い、それが神様に受け取られるのをたくさん経験しました。

それで、私の心にあった「困った」がなくなっていたのです。

本当にハレルヤですヾ(*´∀`*)ノ

今は、神様の愛がたくさん感じられてとても幸せです。

私の敏感なところ。感受性が豊かなところ。妄想が激しい想像力が豊かなところ。
私が何年もの間、このことに苦しんでいました。
ちょっと聞いただけで、すぐに映像が浮かんでしまい、人の気持ちに敏感に反応して傷を受けることを恐れて萎縮して、想像力が豊かすぎて人の気持ちを自分で作ってしまい…。

でも、それは私の考えが間違っていて、過去の見てきたものが間違っていたからです。

敏感なところ、感受性、想像力…それは芸術性に優れているということだ、って人を通して教えてもらいました。
私が神様の愛を伝えたい時、それを表現するときに使われる貴重なタラント。

今では大切な、私の宝物。

元々、私は「綺麗なもの」を見たい、という気持ちがとても強かったです。
一番きれいな「愛」を見たかったし、それに惹かれていました。
今では、それが神様の愛なんだ、と分かりました。

私のタラントを活かせるように、もっと自分を磨いて。
美しい「神様の愛の世界」を表現できる私になりたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。