エイプリルフールに「嘘」について考えてみた。

こんばんは、satoです。

4月が始まりました。
新しく学校に入学した皆さん、また新たに会社に入った皆さん、おめでとうございます。
また、転職などで新しい環境に来た皆さん、おめでとうございます。
期待と不安があると思いますが、より良い門出になることをお祈りします。

また、すべての人にとって「心機一転」となる機会となるこの日。
この日を境に一層心を新たにし、もっと次元を上げて頑張っていきましょう(^o^)

さて、そんな本日は「エイプリルフール」。
「嘘をついても良い」というこの日、日本では各メディアや企業が総力を挙げて一日限りの「嘘」を作ります。
いわゆる「エイプリルフール企画」です。
この日のためにわざわざHPを変えたり、アニメを企画したり、中にはその後本当に実現されたものまで…。
ある意味で、全力で冗談を放つその姿勢…私はとても好きです(笑)

ところで、聖書にこんなことが書かれています。

この御使は、わたしを御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた。…人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。 しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。
-ヨハネの黙示録21章10-27節

これは天国のことについて書かれているところですが、ここに「偽りを行なう者は入れない」と書いてあります。

確か、カインの性格というBSを聞いているときに講義を伝えている人にこの話についてある質問をしました。

「どんな嘘でもダメなんですか?
たとえば、その人のためにつく嘘はどうなんですか?」

これはいくつか理由がありました。
一つはそのときに読んでいたノベルゲームに「嘘をつく少女」が出てきたのですが、その人は最終的には自分も相手も利益になるからという信念で嘘を付いていたのです。
(こう聞くとなんかいい人のように思いますが、そういう感じとは異なります。この話をすると長くなるので、また別の機会に)
もう一つは私がサークルの中でマジックをしていたことです。
マジックもある意味で「人を騙す」ことをしています。しかし、それがダメだとすると…と考えたわけです。

これに対して、講師の人は言いました。

どういう心でするのか、神様はそこを見ている。

と。その人は「人のためにつく嘘は『してはいけない』という嘘とは違う」と話してくれました。

確かに、マジックの目的はあくまで「人を楽しませること」。
それで人から物を盗ろうとか、詐欺をしようとか、そういうことではありません。だから、これは「嘘」とはちょっと違うんです。

その後鄭明析先生がマジックを披露している姿を映像で見たことがあります。
一応マジックの経験者なんですけど、本当にとても楽しそうでしたし、驚くことがたくさんありました。
たとえば、マジックの仕掛けのあるものを触らせたり、何回も見せたり…これってよほどの経験がないとできないんですよ。ネタがバレるかもしれないから。
そして、何よりも会場と一体となって演技をしていたのが…本当に会場中が楽しんでいました。

あのマジックの場面は、まさに「天国」でした。

「人を騙す」と言っても、すべてが悪いのではありません。人を騙し、傷つけ、悲しませる…そういう「嘘」でなければ、神様が見てくださることもあるのです。

(ちなみに、さっきのゲームの話は、もう少し複雑で深いのですが…それはまたいずれ。)

こう書きながら、そういえば私がジャグリングをするときもこういう雰囲気だったな…と想い出しました。少しは天の姿に近づけているのでしょうか…(´・ω・`)

今日一日のために、すべてを掛けて「ジョーダン」を放つこの文化。
それが天に向かうならもっと幸せな世界になるのかな…と思いながら、今日一日を過ごしました。

 

 

…すみません、良い「嘘」が思いつきませんでした(笑)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。