心の苦しさを解く『感謝』の大切さ

世の中では、多くのものが発達してきました。それによって生活は楽になり、便利になりました。それなのに…どうして心が苦しい人が増えているんでしょうか?

 

おはようございます、satoです。

今日はここ最近実感したあることの大切さについて書きたいと思います。

正直、この大切さに気づくまでと気づいてからでは、天と地の差です。私の心が。

 

憂鬱、不安、心配という問題

 

今年に入って、私は色々な問題を抱えていました。

進路、学業、精神的な問題…。それぞれが相互作用をして、複雑な問題になっていました。

もう私もいい年しているのですが、未だに進路が確定していない。まだ仕事をちゃんとしていないので、経済的にも安定していない。さらに、学業的にも行き詰まっているように感じる。

信仰的な面においても、祈りが深くできず、明け方が起きられず、やっていたこともなかなかうまくできず、気も入らない…。

この二つのことがあって、自分に自信が持てず、不安で、人からの視線も気になってさらに心配になり…。さらに、自分の長年抱えていた問題もなかなか解決できず…。

結果、軽いうつ状態が続いていました。

一方で、やることは増えていく。

「あぁ、どうしてこんなにやることが多いんだろう?」

「どうして私がこんなにしなければならないんだろうか?」

「本当にめんどくさい…」

生来の怠け癖も相まって、こういう不満がずっと心の中にありました。

まさに、泥沼。

 

こういう不満や、精神的な問題は現代に生きる多くの人が抱えている問題でもあります。

些細な事で怒り、怒鳴る人。

いつも不安で眠れず、精神の病にかかる人。

全てのことが嫌になり、逃げ出す人。そして、自殺する人。

現在、日本の自殺者は約30000人。

近年は減少傾向にあるようですが、一日に約100人が死んでいると思うと本当に深刻です。

 

更にいうと、このブログを書いていることからもわかると思いますが、私は摂理人です。摂理の御言葉を聞き、この時代に働く神様の御働き、愛、心情を(全てとは言えませんがそれなりに)知っています。

ところが…そんな私が心配し、不安になり、憂鬱になっていたのです。

いったい、これはどうして?神様を知っているのに?

皆も聞きたいでしょうが、私も聞きたいくらいでした。

本当に、これに対する答えを切に求めていました。

この苦痛がなくなるなら、私は全てを差し出したい、というくらい。

 

その答えは、本当にシンプルで、しかし、確かに大切なものでした。

 

自分が与えられた全てのことに感謝しなさい。

 

そう、これが「答え」でした。

本当に、私にとっての答えでした。

私が摂理に来て、御言葉を聞けていることも。

今、こうしてブログを書けていることも。

祈れることも。

数学の勉強をしていることも。

バイトできることも。

全て、神様が与えてくださったものでした。

何故なら、全てのことは「神様の許諾なしにできないこと」だからです。私は、そう摂理の御言葉で学びました。

 

だったら、そのことを感謝するべきではないか。

確かに得られなかった、失ってしまった、失敗したことも多くある。でも、それは神様がしてくださらなかったわけではない。自分たちがうまくできなかったからだ。

神様は与えてくださった。だったら、そのことに感謝じゃないか。

 

このことに気づき、神様に感謝の祈りをひたすら捧げた時、私の心に喜びが戻りました。

生きる希望と意欲を取り戻しました。

全てのことをできる力を受けました。

本当に、喜びでした。

 

まとめ

 

『信仰』がなぜ必要なのか、というと全てのことが偶然ではなくちゃんと理由があるということを知るためだと私は思います。

これが必要なのは、全てのことに価値が有ることを悟るためです。全てのことが『ただ偶然』与えられたのなら…あまり価値が感じられませんよね?

だから、私たちは知る必要があるのです。すべてのことがどうして、どうやって与えられたのか、を。

というわけで、摂理に来ていない人には、まず摂理の御言葉を聞くことをお薦めします!摂理の御言葉は全てのことを明解に教えてくれるからです。

でも、それをただ知っているだけでは何も意味がありません。それは、摂理の御言葉をそれなりに長く聞いてきた私が軽いうつ状態になったことからもわかります。

知ったなら…それに感謝すること、それを行なうこと

自分が信じたとおりに行なってこそ、信仰の力が発揮されるのです。

ルカによる福音書17章11-19節

17:11イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。 17:12そして、ある村にはいられると、十人のらい病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、 17:13声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。 17:14イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。 17:15そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、 17:16イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。17:17イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。 17:18神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。 17:19それから、その人に言われた、「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。

だから、まずは。

自分が与えられた全てのことに感謝することから。

それが、全てを越える「新しい道」だと、私は確信しています。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。