傷ついた心を癒やす、神様の暖かな愛。

こんばんは、satoです。

人は世の中を生きていく中で、何かしらの傷がつきものです。神様のことを知らずに生きていたならなおのこと、様々に傷を受けます。心に、脳に、時には体にも…。
私達の心は神様が創造した故に神様の御言葉、法則通りに生き、神様の愛を受けながら愛そうとします。しかし、世の中で神様を知らないで生きると、そのとおりに生きられないことがあまりに多く、時には神様のことを認識できなくなるくらいに傷を受けてしまいます。

特に幼少期の頃に見たものは、その後の認識観、人生に大きな影響を及ぼします。
たとえば、性的なもの、暴力的なものを見た子供は結構な心の傷になる、という話を聞きます。
また、子供の頃に親が離婚したり、ケンカをたくさんするのを見た子供も、そのことがトラウマになることが多いです。
それによって、すべての人に対する認識観が大きくゆがんでしまい、正しいことが見られなくなり、その結果様々な問題にぶつかってしまう…そうやって苦しんでいる人もいるのです。

今日の私は、まさにそういうことで苦しんでいました。
神様とうまく繋がっている感じがしていたのですが、ある考えの間違いを犯して、突然過去の傷が思い出されてしまいました。それによって、心がパニックに陥りました。どうしたらいいのかわからず、ただひたすら出てくる悪い考えに対して悔い改めをしていたのですが、それでもうまくいきませんでした。周りの人に対する認識も大きく歪んでしまい、ますますコントロールが効かなくなりました。

それでもひたすら神様を呼んですがりながら礼拝を守り、スポーツをしているうちに、朝に犯した考えの間違いについて思い出され、

「神様、本当にゴメンナサイ。すごく心が傷つきましたよね…」

と心の中で悔い改めました。そうしたら瞬間心に「暖かな愛の雰囲気」が感じられました。神様が私のところに来てくださったのです。
その後は賛美もしながら、夜の祈りの時間に、これまでの心の問題、罪を悔い改めながら対話をしていました。そうしたら、神様が私の手を握ってくださる感覚がしました。

神様の暖かな手。
包み込むような愛。
私に対する笑顔。

どれも私が負の感情で今までちゃんと感じることができていなかった神様でした。

そうする中で、ある感動が来たのです。

罪は悔い改めなければならないが、傷は癒やされなければならない。
傷があるのなら、私に「癒やしてください」と願い求めなさい。

そのときに、私は「小さいころに見たもの」によって傷を大きく受けていたことを思い出しました。この傷によって、その後人を正しく観ることが出来ませんでした。
そして、神様は

これから私とたくさん対話をしよう。

本当の私を教えてあげるから。

私も願い求めました。

「神様、どうか本当のあなたを教えてください。
私は過去に間違ったものを見て、今まであなたを正しく見ることが出来ませんでした。
本当のあなたが知りたいです。そして、この歪んだ認識を完全に無くしたいです」

神様の愛は、私の過去の間違った考えと見たもので傷ついた私の心を癒やしてくださいました。
心が和らぎ、荒れていた心が穏やかになるのを感じました。涙が思わず流れていました。
久しく感じられなかった「穏やかな、ゆったりとした愛の世界」を感じ取りました。

世の中には神様の考えとは離れたものも多くあります。
そういったものによって傷を受け、苦しんでいる人はたくさんいます。中には苦しんでいることすら気が付かずに苦しい生活に慣れてしまった人もいるかもしれません。
だから、幼い頃から神様の愛に触れられることは祝福されたことだな、と私は思います。

でも、もし間違った考えが作られたとしても、間違ったものを見て傷を受けたとしても。
神様にはそのすべてを癒す力があります。すべてを愛する、その暖かな愛です。
もしかしたら、傷跡は残るかもしれませんが…変化してしまえば、過去はなくなるのです。

私の根深いところにある間違った認識、心の傷が少しでも早く癒やされるようにたくさん神様の愛を受けたいです。
そして、一人でも多くの人が神様の愛を受けて、その心の傷が癒やされることを本当にお祈りします。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。