おはようございます、satoです。
これは10年前に書いた記事を振り返って面白いなと思ったので、一部修正して再掲します。
ある時、教会内で今までやっていなかった企画をしました。
私はかなり珍しいことに、その企画の中心として企画の発案・会議の進行などを行っていました。
…が、いかんせん慣れていないためか色々不備が生じたり色々トラブルもありました。
それでも、摂理は「神様の御心があればやっていたことを止めて御心の行いに切り替える」ことを目指している人が多いので、色々な人が助けてくださいました。本当に神様は人を通してもたくさん助けてくださるのですね。本当に感謝します。
終わってみれば、みんな満足。一回目にしては結構よかったなぁ、と感じました。もちろん改善すべきところはたくさんあるので、それは次に活かします。
それにしても、私はあまり中心的な役割はしていなかったので当時は知らなかったのですが…このポジション
「やることが多すぎて、寝る暇がない!」
前日は色々声かけやったりしてたら寝るのが遅くなり、当日は午前9時から準備なので、寝て遅刻はできない。
また色々チェックすべきところもあるので、やはり寝れない。正直試みに遭っていました(笑)
それを思うと、今摂理の全ての決裁を行い、御言葉を書き、祈り、弟子からの手紙を読んで返事して…としている鄭明析先生はもう自分の時間なんてないんですよね。「私は鍛えているから」とよくおっしゃりますが、肉体はこの記事を最初に書いたときは70歳近く、今は80歳近くで、しかもいる場所は決していい環境とは言えません。そんな中でも寝れず食べられず行う先生の心情が、少しわかった気がします。
その心情とは
「私の時間を削ってでも、その人が助かるなら…私は喜んでしよう」
というものです。
御言葉で「自分の使命に対して喜びと希望を持って興奮して行いなさい」と言われていたのですが、先生は「自分が神様の体となって行う」ことに喜びを感じて、「すべての人を一人一人愛する」神様の体となって私達にすべてのことをしてくださるのです。
私も結構肉体としてはハード(←平素鍛えていないから(苦笑))でしたが、それでも企画が終わったときにみんながよかったと思ってくれること、何より愛する神様が喜ばれるのを見ると…その苦労は報われたし、次も頑張ろう!と思っちゃうわけです。この喜びが先生を動かしているんだな、と感じました。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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