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「間違い」をスッキリ受け入れるためには。

「間違い」をスッキリ受け入れるためには。

こんばんは、satoです。

「間違いは死まで招く」という御言葉で進行している今週の摂理。
私も例外なく、「間違い」について考えさせられました。

間違いを犯すと、歴史が遠回りになり、自分のした功績が崩れ、聖三位がフォローをするために時間を使い…。

そんな話を聞くと、どうしてもネガティブで、苦しくなるという私。
なんだか、気分が憂鬱になりそうです。

「間違い」と聞いてこんな気分になる人もいるかもしれません。今日は、そういう人の自己分析の参考に、私のこの感情/主観の原因を分析したいと思います。

聖三位がどうして間違いについて言及しているのか、というとこれ以上間違いを犯さずに行えばもっと聖三位も共に出来て、もっと理想的に自分の願いが成されるからですよね。別に、過去の間違いを指摘して、落胆させたいというわけではありません。

それでも、どうしても「過去の間違い」を考えると、心が苦しくなる私。
それはいくつか原因があるようです。

まず、自分が損した(自分のした功績が崩れるとか、時間を無駄にした、その時間にもっと色々出来た…)という事実を「ネガティブ」にとらえているということがあります。つまり、過去のことを後悔する、悔しくなる、という感情→「自分なんてもうダメだ」というものに近い感情になるという流れがあるようです。

私は異様に過去のことに執着しやすく、特に「せっかく得られたのに、逃してしまったもの」に対してはさらに願望が強くなります。「得られないもの」に対する欲が強いのかもしれません。

こう書いてて思いますが、悔しい、後悔という感情や「のがしてしまったものに対する欲求」というのも使いような気がします。
そう、前向きに捉えて、「次はこうしないようにしよう!必ずチャンスを掴もう!」という風に考えるなら、むしろ力になってくれるのです。
ところが、私の場合はあんなことしなければよかった…なんであんなことをしたんだ…と「過去に囚われている」ことが多いんです。この考えは変えられない過去を中心とした考えだから、苦しくなるのです。それで、なかなか過去の間違いを認められないというわけです。

まとめると、過去の間違いに付随する際に出てくる「悔しさ」はこれから前向きに、「あの時悔しかったのを晴らそう!」と力にして取り組めばいいということにしましょう。過去は変えられませんが、「過去の解釈」は変えられますからね…。そして、早く「間違ったこと」を認めて、反省してその間違いをしないようにする。そうすれば、ロスが少しでも減らせます。

次の原因についてはまた明日書きます。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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