摂理とバイト。

こんばんは、satoです。本日も二回目投稿します。
…「二倍頑張りなさい」の週は終わりましたが、二倍頑張ることは正直これから人生を生きるなかで絶対外せないものです。なので、続けて二回更新頑張ります!
さて、摂理人だって世の中で生きているわけですから、当然お金がなければ生きられません。もちろん「遊ぶお金がほしくて」バイトをする人はいませんが、「生活のために」バイトする人はそれなりにいます。
鄭明析先生も「お金がなければ信仰生活ばかりしないで(伝道や講義など教会の活動の意味だと思います)、バイトをして生活しなさい」とおっしゃいました。
私も正直…貧乏学生ですので、バイトを去年からしています。
それまでは奨学金をもらっていましたが、それだと大学卒業時にたくさんの借金が…ヽ(;▽;)ノ大学4年間だけでも相当の金額ですよ、奥さん。
なので、去年から奨学金も親からの仕送りも極力もらわず自分一人で生活していけるように努力しようとしています。
-一人でお金を稼げるようにならないと、親の主管圏にいるままで自由にならない。一人で生活できてこそ、自由な生活を送れる。これと同じく、信仰生活を一人でしてこそ、信仰の主管圏で自由になる。-
これまた個人がよくできる箴言です。
バイトを始めると正直最初は慣れません。緊張しているし、ホントやる気がなかった(正確には「集中力が散漫になっていた」)ためか、仕事の飲み込みも遅かったです。それでよく叱られました。
しかし、あるとき「自分の態度があまりに悪いこと」を悟り、悔い改めをしました。
「せっかく神様が働かせてくださっているのに、こんな心では天にもバイト先の人にも申し訳ない。心を入れ換え、謙虚になろう。」
そう決心したときに、バイト先の環境も変わり、店長も変わり、雰囲気もよくなりました。私も緊張から解き放たれ、謙虚に熱心に頑張って今では一人でもある程度判断して動けるようになりました。
…が、今日は私がこれまでやったことの上を行くくらいの「イレギュラー」が起こってかなり大変でした…ヽ(;▽;)ノしばしばフリーズするわ、順番が変わってあたふたするわ…。まだまだ「達人」には遠いです。
しかし以前よりは心が素直にへりくだっているのを感じます。主が私の心の澱をなくしてくださり感謝します。
-仕事も一人でできるようになってこそその味がわかって楽しい。そのように、信仰もそうだ。-

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。