人生をもっと楽しもう!

おはようございます、satoです。

ネットを見ると人々が色々なことに対して「不満」を持ち、愚痴を話している言葉を耳にします。
いつも、私はそれを聞いたり見たりするたび「モヤモヤ」が出ていました。
それがどうしてなのか、さっぱり分からなかったのですが、今日あることに気づいたのでそれを書きたいと思います。

ネットでも現実でも見かける「不平不満」と「愚痴」

たとえば、数学の話で言うと「教育」に関して不満を話す人が多いです。
俗に言う「掛け算の順序問題」もその一つで、ある時子供のテストを見てると式の順番が違っていて減点されているのを見て「これは正しい式なのにどうして×にするのか」とツイッターとかで度々上がってきます。
これについて、数学者の一部の人も「数学的に正しくないことで×にするのはおかしい」と主張しています。
一方、教育側の人は「こうしないと子どもたちが理解できないのだ」と話し、間違っていると主張する人たちに対して何も分かっていないと不満を述べます。

ちなみに、私は数学者の卵なのでやはり掛け算の順序が変わっていても減点しなくていいと思っていますが、とある教育者の話を聞いてみてなるほど、と思いました。これについては別の機会に書きたいと思います。

この他にも政治に対して不満や嫌悪を話す人が多いです。これは日本の政治でもそうですし、それ以外の国の政治でもそうです。タレント、ゲーム、自分の好きなものに関しても、ネットを見てみると不満のコメントが少なからず存在しています。

じゃあ現実世界ではそうでもないのか、というとそんなことはまったくなく。
あるときパソコンで作業していると、隣の席で女性2人が愚痴を言っているのに遭遇しました。それも割と短い期間に二回。
不思議なのは内容も全く同じだということ。
「自分の所属しているところ(バイト先とか部活とか)にいる『自己中心的で人の心を分かってくれない』人に対して、自分は我慢をしているのだけど変わらない」
ということでした。年齢は全く違うのに、全く同じような話をしているのでビックリしました。

ところで、私はこういう話を聞くと「モヤモヤ」します。
(発達障害傾向の人にありがちなのだそうですが、)人が怒っていたり機嫌が悪いと、それに影響を受けて不安になったり、イライラしたりするということが原因のようです。
また「怒り」の感情を持った時、自分はそれを発することなく自分の中に溜め込んでしまいます。
これも「怒っている」ということは分かるが「怒りを放つ正当な理由がない」、言い換えると「間違っていることは話したくない」という理性的な考えが強いからです。考え、というかもはや「体質」ですね。
しかし、それでも自分の心がモヤモヤし、怒りが溜まっているのには変わりありません。

愚痴に対して私がしたこと

愚痴を言っている人たちに自分が接してみると、意外なことに大抵「良くしてくれます」。
大抵の人は見ず知らずの人に対して怒りを放つほど理不尽なことはありません。
もちろん、自分も相手に苛立たせないように配慮してどのように話すかは考えていますが、私の疑問やお願いに対してはしっかりと答えてくれる人がほとんどです。

このことから考えると、大抵の人は「不満を抱いて愚痴を言う」というのは一部のものに対してで、大抵「自分が思い入れのあるもの」であることが分かります。
色々大変なことがあって、自分ではどうしようもできないことがあって、愚痴を言いたくなる、という心も良く分かります。

しかし、だからといって愚痴を聞いてるのは嫌です。・゚・(ノД`)・゚・。
そのときも愚痴を聞きながら、どうしたら止められるのだろうか…と考えていたのですが(ノД`)
突然こうなったら、面白い賛美聞いてやる!って思いながら、Youtubeにある賛美をいくつか聞いていました。
そうしたら、ちょっと楽しくなってきて気分が軽くなりました。
…考えてみたら私が動けばよかった気もします(ノД`)
実際、そうしても良かったのですが、こう何度も不満を言う場面に直面するのを見るとなにかあるのかな…と思いあえて動きませんでした。

その後少しトイレに行きたくなったので、話の最中に割り込んで「あの、私の荷物少し見てもらっていいですか?」って話しかけてみました。
そうしたら、さっきまでの愚痴の雰囲気はどこへやら、普通に引き受けてくれました。
やっぱり、関係ない人に対しては不平を述べないのですよね…。

で、トイレに行きながらふと口に出た言葉が

もっと楽しいことすればいいのに…

というものでした。これを聞きながらハッと気づきました。どうして私が不満や愚痴を聞くとモヤモヤするのかを。

人生はもっと楽しいのよ…

私は元来楽しいことが好きです。
というか楽しくないとなかなかやっていけません(ノД`)
摂理も楽しいからいれるのですが、これは神様が本当の楽しさ、永遠に続く楽しさを教えてくれたからです。

人は食い飲みし、その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。これもまた神の手から出ることを、わたしは見た。

口語訳聖書 伝道の書2章24節

人々が今いる位置で、自分がすべきことを行なって楽しむこと。これは神様が与えてくださった祝福です。
私も数学という自分のすべきことをして楽しんでいますし、ブログやお祈り、賛美、御言葉を聞くことを楽しんでいます。
このように、すべての人が今いる位置で楽しくできるように神様が調節してくださっています。
言い換えると、いくらでも人生は楽しめるのです。
ただ、

だれが神を離れて、食い、かつ楽しむことのできる者があろう。

口語訳聖書 伝道の書2章25節

と書いてあるように、神様を知らないとなかなか味わえないのですが…。

愚痴というのは瞬間楽しいですが、長くは続きません。

わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕えるようなものであると悟った。

口語訳聖書 伝道の書1章17節

風を掴むようなこと…と聖書には書いてあります。愚痴を言ってもなんの楽しみもないのです。
そして、そんな愚痴を聞いているのも。つまり、私がモヤモヤしていたのは「その人達が楽しくなさそう」だったから、あるいは「人の悪口を聞くのが嫌だったから」なんだと分かりました。

自分のいる場所で楽しもう。

私も愚痴を聞きながら、愚痴をやめればいいのに、と愚痴をこぼしていました。
これもつまらないことですね。
私は私のいるところで目一杯楽しめばいい。そうすれば、私を見て幾人か笑わせることができるかもしれない。
私が喜んで生きれば、神様は喜ばれるでしょう。

また、このように私が自分のすべきことをしていて不満を抱えている時、神様は「もっと楽しめばいいのに…」と残念に思っているのだと悟りました。
自分も困難にぶつかるとなかなかうまくできませんが、祈って対話して楽しんでいこうと思います(σ・∀・)σ

色々な困難にぶつかっている皆さんが、神様に出会って本当に楽しい生を生きられることを祈りつつ、この記事を終えたいと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。