摂理人satoの休憩するための模索記録。

人によって、休憩方法はそれぞれです。私の場合は…。

 

こんばんは、satoです。

休憩方法について考えた話です。

 

仕事をしても効率が上がらない。

私は毎日机で数学を考えたり、歩いて数学を考えたり、時にはバイトをしたりしています。しかし、いつも効率が悪い。

だから、一日中やっても作業が終わらず、しかも疲れてしまう日々を過ごしていました。

鄭明析先生は摂理の御言葉で次のように話されました。

仕事を全部やってからどこかに行って休んで来ると言うな。また騙される。そうしていたら、仕事をしているうちに死ぬ。疲れたときは、仕事の途中、そのままにしておいて、行(い)って、休んできてから働きなさい。

それなら休憩しよう。

なるほど、休憩だ。休憩をすることで作業の効率も上がる。確かに私は何かを終わらせるまで休憩しないくせがあったな。

というわけで、ある程度作業が進んだら一旦手を休めます。

 

ところが、AD/HDのゆえか、休んでいる間もじっとしていられないのです。どうしても何かしていないと落ち着かない。体を動かしていないと落ち着かない。あるいは話をしないと落ち着かない。そんな私が良くしていたのがネットサーフィン。

ですが、これは休みになりません。

色々なことを頭にインプットしている

からです。それが摂理の御言葉なら効果もあるのでしょうが、ネットのニュースには色々な情報があります。それで精神的にも霊的にも辛いです。

ならば運動はどうか、というと…。

運動している間も、色々考えてしまう

ために効果がないのです。

私が一番休みたい時は、脳内に色々詰まっている時なんですよね。そういう状態で運動をすると、むしろそれをずっと考えてしまう…。

本当は賛美がしたいのですが…賛美は学校の教室ではなかなかできません。

自分の頭がゆっくり休んで、なおかつ持続できる休憩方法。更に言うと、体、特に「手先」が絶えず動いていると良い。

そんな私に合う休憩方法

そんな私にぴったりな休憩方法…あるのかな、と思っていましたが。

神様はちゃんと私に与えていました。ピッタリの休憩方法を。

日々の神様の働きを感じて、御言葉をまとめて、それをアウトプットする。

つまり、このブログを書くことです。

事実、これを書いている時は、心も楽ですし、楽しいです。こうすることで、「多くの情報を持っていて集中できない状態」の脳が「神様について集中して考え、文章を作る」し、落ち着かない体も「パソコンのキータッチをし続ける」から楽しいです。

私は単純作業が得意ですが、その中でも特にタイピングはかなり好きです。それはキータッチの感覚がとても快感なのと、キータッチ音が好きだからです。

元々ゲーム好きだった私にとっては、この感触が合うんでしょうか…。

摂理の御言葉でも、次のように話されていました。

ただ寝ることが休憩することではない。仕事をしながら休みなさい。

仕事、とは違うかもしれませんが、私には目的を持ってタイピングすることが一番合う休憩方法だとわかりました。本当に感謝します。ブログを書けることも、こうやって御言葉を与えてくださることも。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。