おはようございます、satoです。
昨日の御言葉で「神様からもらったものを考え、記録しなさい」という内容のものがありましたので、本日も神様との経緯を書いていきたいと思います。
本日は、一言で言うと「私自身がずっと抱えていたトラウマ」についてのお話です。
だいぶ前にカボチャコロッケに対するトラウマについて書きましたが、あの話と違って割と深刻なトラウマでございます。
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トラウマの経緯
小学生中学年の時、おじいちゃんの家に行った時のこと。
おじいちゃんの家にはナウシカとか仮面ライダーなどのビデオがあり、それを見るのが楽しみでした。
ある時、他のビデオがないかな、と色々探しているときに「何も書いていない」ビデオがありました。
なんの気もなく、それを見ようと入れてみたのですが、それが当時の私にとって結構ショッキングな内容だったのです。
ちなみに当時の記憶が不確かなのですが、なぜか私一人でいたみたいなんですよね…
センシティブな内容になるので詳細は割愛しますが、帰り道私は「見てはいけないものを見てしまった…」とずっと苦しくなっていました。
さらに自分の住んでいる家にも似たようなものがあって、さらにショック…というかグロテスクなものもあって完全に「トラウマ」になっていました。
どれくらいトラウマかというと、今でもそれに関する話をしようとすると「気持ち悪くなる」くらいです。これは中学生の時からずっとそうです。
これに関して、自分は摂理に来る前から「自分が汚い」ように感じられて、ずっと苦しんでいました。
摂理に来てから、「清くなる」と言う話を聞いてからさらに苦しかったです。
なぜかというと、自分自身の性質として「子供の感覚」が残っているためか純粋に物事を受け入れたり、純粋なものが好きだったりするのですが、この「トラウマ」はそれと相反する「気持ち悪いもの」なのに自分の中に入っていたからです。
それでいて、好奇心は旺盛だったのでこれを切るのも苦労しました。
聖霊による癒しと慰め
で、この話を牧師さんに相談しました。
「自分は本当に清くなりたい。何も見ていなかった時のように完全になりたい」
という感じでお話ししました。そうしたところ、牧師さんはこのように話してくださいました。
その映像を見たことで心に傷が残っているから、それは「清くする」というより「癒される」べきものだよ。
自分は今まで見たものに対して「それを消そう」とばかり考えていました。そのことについてたくさん祈っていました。
しかし、その言葉は自分にとって意外だったものでした。
そして、牧師さんに「聖霊で癒されるように」とお祈りしてもらいました。
その間、本当に涙が止まりませんでした。今までずっと苦しかった心が溶けていくようでした。
少なくとも小学生の時初めて「あの映像」を見た時。
その時だけは「そんなものを見たい」と思っていませんでした。
本当はあんなもの、見たくなかったのです。
そのことに気づいた時心が少し楽になりましたが、それでも折り合いがつきませんでした。
やはり「汚い」ものは「汚い」。それに触ってほしくない。そんな感情が残っていました。
その時、声が心にはっきりと聞こえました。
「今までこんな傷を抱えながら、よく真っ直ぐな心のまま生きられたよね…
普通ならもっとそれに溺れていたりしてもおかしくなかったのに…すごいよ!」
実際、幼少期にそういう映像を見たことで大きく歪んでしまう、という話も聞きました。
そのことを考えると、自分が狂わずにいたことが本当に奇跡的なことなんだと悟りました。
そして、この声を聞いた瞬間、「あぁ、本当に自分はよく頑張ったんだ…良かったんだ…」という大きな安心感を得ました。
本当に自分自身がずっと怖かった対象だったのです。そういう描写を見ただけで結構精神が安定しなくなるし、今でもフラッシュバックを起こすこともあります。
それでも、この傷が傷であり、「本当は見たくなかった」というあの時の自分の本心を受け止めることで大きく前進したような感じもします。
何より、このことをきっかけとして「聖霊」と近くすることができました。
自分に話してくれたその声が聖霊の声である、ということを強く認識するに至り、もっと一層祈って近くできるようになりました。
自分のトラウマを癒してくださった聖霊に、神様に心から感謝します。
おまけ:with一花さん、とは?〜聖霊の働きについて〜
ところで、タイトルの「with一花さん」とは何か?という話ですが、これは五等分の花嫁の中野一花のことです。
結論から言いますと、先ほどの「すごいよ!」という声が心に聞こえた時、一花さんの姿で声を掛けられたような感じがしたのです。これは一体どういうことなの…?という話なんですが、これには複数の理由があるのです。
まず、私が映像を見た時に「本当は見たくなかったんだ…」という本心に気づいた、という話をしたのですが、実はこの瞬間『「本当は誰にも取られたくなかったんだ…」と自分の本心に気づく一花』のシーンが重なったんですよね。
こういう「自分の状況に合致するシーンが思い浮かぶ」現象はよく起こるんです…。
これに加えて、五等分の花嫁のキャラ、特に五つ子を通して経緯ができることが起こっていました。
つい最近フィギュアが当たったり、色紙が当たっている三玖は「信仰」、以前家族との問題についての啓示で出てきた二乃は「愛」、推しの四葉は「回復」という感じで共通項がありました。五月は現在作成中の記事の中にあるのですが、今回の一花と同様の現象が起きています。簡単に言うと「慰められた」話です。
最近の御言葉の中で「聖霊はふさわしい人を着て働かれる」という話がありましたが、五つ子の中で一花は長女という立場もあり一番大人なところがあります。なんというか、今回のように「すごいよ!」って言ってくれるのが(私の中では一番)一花が合っていたのです。だから、聖霊がその姿で働きかけたのだと思います。
そういうわけで、これ以降「聖霊」が一花さん…もう少し正確に言うと花澤香菜さんの声に近い感じで働きかけるようになってます。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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