21年間逃げ続けてきた〇〇と向き合った話

おはようございます、satoです。
本日はクリスマスイブ。イエス様の生誕をお祝いするクリスマスの前夜ということで、とても嬉しい一日です。
そんな中、私は21年間逃げてきたあるものと向き合うことになりました。

〇〇との経緯

“それ”との初めての出会いは小学校の時。
初めて”それ”と出会った時、私はあまりの苦しさで拒絶反応を起こすほどでした。
ところが、”それ”は時たま私のところにやってきました。

私は”それ”と会うたび、本当に苦しみました。
それを越えないと終わらないので、必ず向き合わないといけないので、いつも苦しみと共に乗り越えていました。
しかし、あまりの気持ち悪さで憂鬱になるほどでした。

“それ”を越えるために、私は色々な助けを使おうとしていました。
しかし、助けを使うと”それ”はもっと大きな苦しみとなるので…私は自分の力でそれを越えるしかありませんでした。

“それ”がいない時、私はいつも安堵していました。
ところが、”それ”は私の好きなものに混ざってやって来ることもあります。そうして、油断した矢先に…”それ”と出会った時、私は更に苦しかったのです。

本当に苦しくて、苦しくて…それでも「越えなければならない」と考えていた私は、小学校の6年間ずっと乗り越えていました。
しかし、中学校になって「親に相談していい」と分かった私は、親に打ち明け…それから、”それ”は私の前に現れることがなくなりました。

中学生になって、高校生になって、大学生になって、大学院生になって。
自由に選べるようになった私は、”それ”から遠ざかるようになっていました。
私はそれでいい、と思っていたし、心も楽でした。
しかし、時々”それ”の影が見えると…あの時のトラウマを思い出して、気持ち悪くなるほどでした。

そうして、”それ”と別れてから21年経った、ある時。
昨日、私の記憶の片隅にいた”それ”がどんなものだったのかを調べて、皆に見せたのです。
正直、私はその写真だけ見てもトラウマを思い出していました…。

しかし、それを見たある人は…事もあろうに、本日、私の目の前に”それ”を差し出したのでした。

そう、冷凍食品のかぼちゃコロッケを。

ネタバラシ

…ここまで読んで深刻に考えてしまった方、ご安心ください。今回はそこまで深刻な話ではありません。

念の為、このかぼちゃコロッケの名誉のために書いておきますと。
この「かぼちゃコロッケ」はとても美味しいそうで、今回一緒に食べた人が皆「美味しい」と話すほどです。
実際、私が小学校の時から今に至るまで長く売られている商品、ということはそれだけ品質がいい、人気ものだと思うのです。

ただし、私にとってこの「かぼちゃコロッケ」は本当にトラウマレベルで、この記事を書いている今もこの断面を見ると少し気持ち悪くなるほどです…。

小学校の時に食べてから、本当にこのかぼちゃコロッケが嫌いで…しかし、「食べ物は残してはいけない」という教師の目もあったので、私は残さずにこれを食べ続けていたのです。
しかも、牛乳を使って口に流そうとすると、なぜか味がより悪くなってしまうために、自力で食べないといけなかったのです。
形状が他のコロッケ…例えば私が一番好きだったトンカツと似ているために、一度トンカツだと思って最後までこのかぼちゃコロッケを残していたこともありました。最後の最後、弁当の締めに食べたときの…あの…絶望感…。

ところで、私はこういう嫌なものを「親に言う」ということを知りませんでした。
「親に言えばいい」ということを知らなかったので、親も気にすることなく小学校の時にはずっとこれが出続けていたのです。私は残さずに食べていたので、親からしたら「問題なく食べている」と考えたのでしょう。
しかし、中学校になってある友達が「親に言えばいい」と話してくれたので、親に「このかぼちゃコロッケ出さないで」とお願いしてから、ずっと出なかったのです。

それ以降「かぼちゃコロッケ」の断面を見ると、小学校の時の感覚が蘇って気持ち悪くなりました。
それを見た何人かが事情を聞いて、なるほど…ということが続いていました。が、それを見た神様が何か思ったのか、同居人に感動を与えて、私の目の前にかぼちゃコロッケを出してきたのです。

余談ですが「かぼちゃ」自体はそこまで苦手ではありません。むしろスープカレーとか煮付けとかで出ていたら割と食べますし、かぼちゃパイのようなお菓子は好きな方です。
また、「コロッケ」もそこまで苦手ではありません。「冷凍食品の」とつくと多少ブレがありますが…。
あくまで「トラウマレベルで嫌い」なのはこの「冷凍食品のかぼちゃコロッケ」だけです。
私がこれ以外で苦手としているのはレバーくらいですが、これはなんとか食べられなくもないので、「トラウマレベルで嫌い」なのはこれくらいなんですよ。

21年ぶりに向き合ってみて…

さて、21年間逃げ続けてきた「冷凍食品のかぼちゃコロッケ」と改めて向き合うことになった私。
しかも、似たような形状のコロッケを混ぜて、ロシアンルーレット風に食べるようになりました。
正直「なんでこうなった…」という気持ちでいっぱいの私ですが、ひとつだけ感動があったのです。それが、

もしかして、私はこの「かぼちゃコロッケ」と和解するべき時なのか…

というものです。

確かに、小学校の時には苦手として、食べるたびに苦痛と気持ち悪さが来ていたものですが、しかし、いつまでも「かぼちゃコロッケのような断面」を見るたびに気持ち悪さが出るというのは流石によろしくない…。だから、この「古いものを葬り去る」というこの機会に「小学校の時から続く思い込みを捨て」、かぼちゃコロッケを食べることで「かぼちゃコロッケ」が美味しいと感じられるようになる…のか?

そう考えた私は、覚悟を決め「今日、私はこのかぼちゃコロッケを食べる!」という思いで、皿の上にあるコロッケに手を伸ばし、

口にしました。私が食べたのは…

かぼちゃコロッケでした。

少し味わった私…その口には…

残念なことに、小学校の時と同じあの「感覚」が蘇ったのでした。

その「感覚」をどうにかしたくて、思わず「味の濃い飲み物」を欲するあまりそばにいたコーラを飲んでいました。
なお、私は炭酸が飲めません。喉がビリビリしてきつかったです。

原因分析

さて、小学校の時の思い込み、ではなく本当に「私が苦手」だったこのかぼちゃコロッケ。
残念ながら和解は成されませんでしたが、21年間を経てその理由が分かった、気がしました。

まず、「味」の面ですが、実はそこについてはそこまで苦手ではありませんでした。
確かに「甘めのおかず」が苦手なことが多い私ですが、この事自体はなんとかなるレベルで、それだけなら美味しくとまではいきませんが、普通には食べられそうでした。

では、私が苦手としているのはどこだったかと言うと…「風味」でした。
におい…とはまた違う、「風味」。最初の方は「まぁなんとか…」と思っていた私が鼻で息をした瞬間、「小学校の時の感覚」が蘇ってダメだったので、この辺りに原因があるのだと思います。

そもそも、私は「冷凍食品」自体に苦手なものが多かったようで、改めて考えると小学校の時に「嫌だな…」と思ったおかずが多かったのです。(が、先程書いたように「残してはいけない」という教師の話を真に受けた私はずっと食べていたのです)

この事によって、私はこのかぼちゃコロッケはともかく、他のかぼちゃコロッケならなんとか食べられるのでは…?という希望が湧いてきたのです。

小学校の時からのトラウマを越えて、ほんの僅かですが希望が湧いてきました。
地味に公開しようとして公開するのを忘れていた「人間関係のトラウマ」と並ぶ、大きな変化でした…。
この変化を与えてくださった神様に心から感謝します。

ただ、願わくば…絶対とまでは言いませんが、10年くらいはこのかぼちゃコロッケを食べなくてもいいようにしてくださるとありがたいです。

…繰り返しになりますが、このかぼちゃコロッケ自体はとても美味しいものです。
あくまで「私の相性と合わなかった」というだけなのです。
そこはご留意願います。

私の傾向との関連

ところで、このエピソード、実は発達障害の人が直面する問題がいくつかあります。
一つは感覚過敏と呼ばれるもので、ある人は冷凍食品が食べられない、冷凍食品だとすぐに分かるくらいに味覚が過敏なのだという話もあります。
小学校の時から冷凍食品とか既製品のものでいくつか苦手なものがある、という私もおそらくこの過敏性があったのかなと、今になって思いました。

もう一つは親や周りの人に困ったことを話せないということです。
先のかぼちゃコロッケのエピソードでも「食べ物を残してはいけない」という教師の話を聞いて、それを守ろうとしてずっと嫌なものも食べ続けてきたということがありますが、これ自体他の人に「これが苦手」と話せば解決できた可能性があります。
何より、親に話せば(実際そうだったように)かぼちゃコロッケが出なくなる、ということがあったのかなと思います。

しかし、なぜかは知りませんが、どうしても周りの人に「話さない」のです。
私の中では「周りと自分」が切り離されて、「自分の中の世界」にしか自分がいないために、「周りの人の存在を認識できなかったのではないか」と考えていますが、これについてはまだ良くわかっていません。

余談ですが「食べ物を残してはいけない」という話は、その後の私にも大きく影響していて「どんなに量が多くても絶対に残してはいけない」という理念で、毎回ご飯を食べています。おかげで時たまフードファイターのような食べ方をすることがあります…(´・ω・`)

そんなわけで、発達障害の傾向にある人は皆に話していないだけで結構困っていることがある可能性があります。
他人が気づくのは難しいですが、せめて「それが困っていることなんだ」と自分が気づいて、それに対してケアをしてあげられるように頑張りたいな、と思いました。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。