「愛の法」という最高の法

おはようございます、satoです。
今日は日曜なので主日礼拝を教会で捧げました。
実は先週はコロナだったので教会では捧げられず…2週間ぶり(その前は違う場所で礼拝を捧げたので、自分の教会では3週間ぶり)の教会に行っての礼拝でした。

実は最近お祈りがちょっとできてなかったので色々大変でしたが…今日の御言葉がとても良かったです。
ずっと心に引っかかっていたところと今までの信仰生活が反映されて感動しました。

今週の主題…というより、今週は「御言葉が2つ」あったのですが、その一つが「各自が行なったとおりに接してくださる愛の法」でした。この御言葉の中で次のような内容がありました。

自分が努力して会得した法は自分にだけ該当する法もあります。ある人が恋人として接したら恋人の法です。神様の愛の法もそうだし、聖霊様、御子、イエス様、救いの使命者に接することも、各自努力して会得した法がみんな違います。努力して得た黄金のような信仰の法は自分だけが使うのであって、他の人は考えが違うので、その人には合いません。神様がくださる愛の法も各自会得したとおりに違うし、主の法も違うから、それぞれ接し方が違うのです。

2023年11月19日主日礼拝の御言葉「各自が行なったとおりに接してくださる愛の法」より

この御言葉が自分の心の中にあったモヤモヤを解くものでした。
というのも、ここ最近ずっと気になっていたのが自分が今発信していることが本当に良いのだろうか…ということだったのです。
私のブログの記事を見てもらうとわかると思いますが、結構オタク趣味全開でやらせていただいておりまして…笑
正直「万人受けしないよなぁ…」とずっと気になっていたのです。正直「真面目な人」には合わないのでは…?と。
しかしながら、このオタク趣味を通してより神様と近くしてきましたし、神様がどのように働かれ、どのようにするとより神様が願われる通りにするのか、神様の願いに合わせることや祈り求めることと待つこと…などなど様々なことを学んできたのです。

これは少し違う話ですが、つい最近旅行した際に何人か話してみたかった人が一緒にいたのですが、最初は話したい気持ちが強すぎて信仰心とぶつかっていました。
しかし、まずは神様にその思いを告げ、その後は聖霊に委ねてみたところ、ちゃんと時に合わせて適切な人と話せるようになりました。この感覚はまさに推し活で培ったものです。笑

このように、自分が神様と培ってきた経緯、それを通して学んだ「神様との生き方」は間違いなく私と神様との間の約束(ルール)で、それは自信を持っていいものだと改めて悟りました。
もしそれが違った場合は御言葉とか人を通して、あるいは環境で悟らせてくださると思います。

自分が一番求めていたものが間違いなく正しいことでした。
ずっと「自分が正しい」という自信が持てず、それを保証してくれる何かを探し求めていました。
摂理に来て御言葉を学んだことで、この「正しいもの」が御言葉である、ということは理解できたのですが、御言葉を理解できないこともあって人に合わせていたところがありました(合わせられているのかは別として)。
しかし、今年色々信仰生活をしていく中で何が大事なのか、自分がこれまで培ってきたものが何か、それが正しいことなんだ、ということが保証されて、とても心がスッキリしました。

同時にそれは「私の法」なので人には合わないことがあるし、人の法も私に合わないことがあるのだと理解しました。
だから、私は私なりの神様との向き合い方で、そのスタイルで良いんだと解けました。
大事なのはただ一つ、神様と一緒に行い、相談して決めて、一緒に生きることなんだとわかりました。

実はコロナ療養中、病気だからお祈りできないなぁと考えちゃっていたのですが、これは本当に間違っていました(´っ・ω・)っもっと相談したら良かったです。
正直に神様に告げること…私が信仰生活をしている中で一番大事にしてること、これを忘れないようにしていきたいと思います。

心を解いてくれる御言葉をくださった神様に心から感謝します。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。