おはようございます、satoです。
昨日北海道に起きた、最大震度7の大地震。北海道では観測史上最大で、札幌市でも最大震度6弱。これは史上初です。
厚真町の土砂崩れ、そして全道停電、というかつてない状態。
「吹雪でも止まらない」市営地下鉄が動かない等、札幌も都市機能が麻痺していました。
まずは、北海道に関心を持ってくださり本当に感謝します。
関心を持っていただけることが本当に嬉しく思います。
今回私達は「被災者」という立場になりますが、実際被災した者としてこれまでの推移を記録していきたいと思います。
あくまで私個人の視点になり、抜けているところも多くあるかと思いますが、そこはご容赦ください。
9/6 03:08~地震発生~
前日に久々の記事を書き終えた私は、その後ずっとやりたかったデータ整理をしていて寝たのは午前0時ごろ。
我ながら何をやっているんだ…と呆れながら床に就きました。
そして、午前3時。
私は、強い揺れと共に目を覚ましました。
ベッドで寝ていた私は、その揺れの大きさに恐れを抱きつつ、すぐそばのベッドの端を掴んで耐えました。
揺れが収まったあと、同居人が集まり、すぐに外に避難。
そこからどうするか、と10分ほど話していたところ…。
マンションと、街灯が一斉に消えました。
…このようなことは今まで一度もありませんでした。
そんな非常事態を目の当たりにし、ひとまず避難場所である近くの中学校へ行くことに。
普段は街明かりが絶えないために見えなかった夜空の星を見ながら、中学校が開かれることをしばし待ちました。
明け方のお祈りと御言葉を外で聞き終えた辺りで、避難所である中学校が開かれ私達は避難しました。
9/6 07:00~異常事態の認知~
4時頃、いつもこの時間帯に起きている親に安否確認と自分自身の無事を報告。
これより前に電話したものの繋がらなかったのは、おそらく一斉に電話したからであろうと思われます。
この時、親の住んでいる方でも停電が起きていることを知りました。
親の住んでいるところ、私の出身は北海道の道北地方で、今回の震源から遠いところで、地震も震度2のものでした。
それにも関わらず停電が起きていた…今にして思えば、この時点でかなり異常ではありました。
親は「発電所のあるところは震度3でそのために停止したのではないか」と話していて、この時点では納得していたのですが
その後避難所で過ごしながら、ラジオを聞き…
今回の地震が胆振中東部で起きたこと、最大震度は観測できていたところで6強だったこと。
厚真町では土砂崩れが起きていること、厚真発電所が停止し…
そして、連鎖的にすべての発電所が停止、全道で停電が発生していること
を知りました。
9/6 10:00~食料等の確保~
幸いなことに、私の住んでいるところは電気が止まり、そのために水道も使えなかった以外大きな被害はなかったです。
そのため、着替えとそこにある食料は取りに帰ることができました。
しかし、それだけでは心もとないこともあって、食料や電池を確保するために皆あちこちを行き巡っていました。
コンビニはほとんど閉店していて、セブンイレブンは開店していたものの水や食料はすぐに売り切れていました。
家を見に行っていた一人が近くのコンビニでカップラーメンと水を買えたのは幸運でした。
あとで知った情報ですが、セイコーマートは開店していて、ホットシェフを作り販売していたそうです。
また、夜までに電気が復旧しなかった場合に懐中電灯やランプ、それを使うための電池を用意していました。
ところがランプは単2電池を使うのですが、これが家にありませんでした。
そこで、単2電池を買うために色々なところを見に回った人もいました。
ところが、こちらはすぐに売り切れていました。
このように、水や食料、電池やバッテリー等の必需品はあっという間に品切れになり、確保するのもできないような状況でした。
9/6 13:00~スマホの充電~
今回一番問題だったのが「スマートフォンの電池切れ」でした。
この時点で厚真発電所の発電機に損傷があること、特に4号機のタービンで火災が発生していることが分かり、早期の復旧は望めない状況でした。
もしスマートフォンの電池が切れてしまえば、離れて活動する時、最悪そこで大きな余震が起きれば安否が分からなくなります。
また、断水や停電の状況等刻々と変化する状況を把握するためにもスマートフォンが欠かせません。
こういったことから、今回の状況ではスマートフォンが命綱となっていました。
しかし、私も含めて多くの人はスマートフォンの電池の減りが早く、このままでは電池が切れてしまいそう、という状況でした。
そんな中、教会の人が教会所有の車を使って電池を充電することを提案しました。
教会の車はハイブリッドカーでガソリンが十分にありました。そのため、多くの教会の人のスマホを充電することができました。
私が行き来していた時、見てみると多くの人が車で充電していたり、ラジオを聞いていました。
9/6 15:00~営業していた一つのお店~
さて、この間に私達の中である情報が届きました。
それは、あるご飯屋さんが営業している、ということでした。
地震と停電のために多くのお店が閉店状態になっていたのですが…実際に行ってみると、確かに営業していました。
実は、そのお店は教会の皆の行きつけのお店の一つでした。
なんでも、そこのお店は電気こそ切れていたものの水道やガスは無事だったのでした。
それで、このお店が営業していたのでした。
話を聞いてみると、多くの人が車で移動中に営業しているのを見てこの店に来ていたようでした。
それで、店員さんもいつもより疲れていた状況でした。
具材も限られていた中、ランチメニューも出してくれました。
限られた中出してくれたそのご飯が、本当に有難かったです。
この先いつ止まるかわからない水と、いつなくなるかわからない限られた食材、それをいただけることに、本当に感激しました。
さらに、店員さんも被災しているにも関わらず店を開いてくれ、対応してくれることが本当に嬉しかったです。
この状況下でも私達を守り、一つのお店を通してしっかりと食べられるようにしてくださった神様の愛を感じました。
9/6 17:00~シャワー~
今回の地震で、札幌市では厚別区・清田区が水道管の破裂による断水がありましたが、それ以外のところでは水道管は無事でした。
しかしながら、電気が止まったことによって水を送るポンプが動かなくなり、一部のマンションでは水が出なくなっていました。私の住んでいるところもその一つでした。
しかし、教会の人たちの中に水が使える人がいたので、その人の家でシャワーを浴びさせてもらいました。
幸いなことにこの日はちょっと暑かったので、水のシャワーもとても気持ちが良かったです。
私は明け方起きたあとにシャワーを浴びるのですが、地震もあってずっとシャワーを浴びられずとても苦痛でした。
その分、水の有り難みを感じました。
9/6 19:00~電気のない夜~
この頃には、札幌の中でも停電から回復した場所が出て来始めました。
しかし、多くの地域ではまだ停電が続き、真っ暗な中夜を迎えました。
私たちのいた避難所ではいくつかキャンドルを用意していましたが、それでもとても暗かったです。
それぞれが持っていた懐中電灯を使って自分の辺りを照らしていました。
いつもならバイト先に行って子どもたちに教えている時間でしたが、今日はそれどころではなく。
私が教えている子どもたちはどのように過ごしているのだろうか、明日はどうなるのだろうか、と考えながら夜を過ごしました。
若い人たちは麻雀や人狼ゲームなどを持っていて、それで夜を過ごしていました。
私達もトランプで大富豪をやりながら、しばし盛り上がりましたが、21時頃皆が静かになったところで寝ることにしました。
事前に持ってきていた毛布と寝袋のお蔭である程度楽に寝れましたが、多くの人は非常用の毛布を敷いて床で寝ていました。
(一日目はここまで、二日目に続きます。)
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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