一人の時間は考えを深め、みんなの時間は考えを広げる

おはようございます、satoです。
今週の御言葉は主題が二つあったのですが、その一つが

「人は経験してみてはじめて根本が分かる」

でした。それに関して私個人が感じたことをつらつらと書きたいと思います。

実は先週末から今週頭に掛けて旅行に出かけておりました。その詳細はどこかで書けたらいいなぁと思いますが、今回は色々な人と一緒にお出掛けしまして道中共にする時間が多かったです。

しかし、一方で自分一人の時間も多く持ちました。
そういう時間を過ごしながら私が思ったのは「一人でいるときは考えを深められる」ということです。
特に私はスイッチが入ると「一つのことを繰り返し考え、演算をしていく」癖があります。

実は旅行中も聖書を読んでいたのですが、そこがローマ人への手紙で…。
ローマ人への手紙は今まで読んでもちゃんと理解できないまま言葉がスルーしてしまっていたのですが、今回改めて書いていること一つ一つを旧約聖書の内容と合わせて考察してみました。
そうすると、一つ一つの言葉の流れが理解できるようになって、ようやく頭に入るようになりました。この内容については昨日更新した記事やTwitterには一部書いたのですが、改めてどこかで書きたいと思います。

また、その時間とは別に一人で散策する時間を持ちましたが、その時に事前に調べていたことを思い出しながら行くことで御言葉どおり「言葉で書かれていたことを経験したこと」によって、より根本的なことを体感・理解するようになりました。この内容もどこかで書きたいところです…。

このように「自分一人でいる時間」によって考えが深まる経験が多くありました。
特に私は「一度スイッチが入ると深く集中できる」一方「集中できるまでに相当時間が掛かるし、他の刺激があると集中できない」ため、自分一人で、他に何もない状況だと本当に深く入れます。
ちなみに私のスイッチとは「内面にある自分の持つ情報にアクセスする」のようです。だからか、書く内容が決まっている場合はすぐに集中できるパターンが多いです。逆に自分の中に何もないと集中が全くできません…。

特に数学の研究においては「自分一人で考える」時間がとても重要で、自分の中で考えた問題を作ったり、それを解いたりする過程で数学の理論の理解が深まりました。
結城浩さんの『数学ガール』シリーズにもこのような描写がありましたね…。

それでは、「みんなでいる時間」はどういう意味があるのか、というと、私は「自分の考えを広げる」時間になると思っています。実際、自分で考えを深めるだけでは限界がありまして、新しい考え方や問題を教えてもらったり、交流の中のふとした時間(一緒にご飯を食べる、遊ぶなど)から新しいことに気付いたり、そういうことが多いです。

自分一人だと自分の普段考えていることや好きなもの、いつも触れているものしか触れないためどうしても偏りがあります。それは誰しもそうです。
だからこそ、他の人と接することで「お互いの考えや行動」に触れ、自分にないものを得てさらに自分の考えの幅を広げられるし、それが新しい自分の考えのきっかけとなるのです。

一人でいる時間は「考えを深める時間」、みんなでいる時間は「考えを広げる時間」。
どちらも大事ですね。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。