おはようございます、satoです。
今日はネットの世界について感じることを話します。
端的に言うとネットの世界では二極化が起こりやすいのではないか?と言うことです。
ネット世界を見るとわかりますが、ネットって「自分の気が合う人同士」がグループになっていることが多いです。
そして、この構造が「カルト的人気」を生み出します。たとえば、アニメだと…。
ここにαというアニメが好きなAさんがいます。Aさんはテレビでアニメαを見て
「あぁ、面白いなぁ…もっといろいろ知りたいな」
と感じてネットで検索します。すると、ネットにはAに関するさまざまな内容の記事が出るわけです。
その中でAさんはwikipediaを見たり、ファンサイトを見つけたりします。
ファンサイトには当然Aというアニメが好きな人がいるから、そこには多くの肯定的な意見が書き込まれています。
それを見て「あぁ、この人もこう思っているんだ」「あ、この人面白い子とを話しているな。この発想はなかった」とAさんは楽しんで、いつしか自分も書き込みます。
そうしてAさんは「Aが好きな人たち」のグループに入るのでした。
さて、同じαというアニメですが、Bさんはこのアニメが嫌いでした。あんまりおもしろくないと感じていて、さらに周りのアニメαが好きな人がBさんにしつこく薦めてくるからです。
「本当にこのアニメ面白いんだろうか…」と思って、Bさんはネットでαを検索します。すると、「アンチα」というサイトを見つけます。そこにはアニメαの矛盾点やつまらないところが色々書かれています。
「あ、そうそう私もこう思ってた」「あぁ、こんなところまでダメなんだ…」と、Bさんは納得しつつ、いつしか自分も書き込むようになります。そうして、Bさんは「αが嫌いな人たち」のグループに入ります。
このように、ネットには多くの情報がありますが、その中でも「自分に合う」ものを選んでいます。そして、「自分に合う人たちの集まり」に参加します。
アニメの場合は特に「熱心的なファン」と「アンチ」ができやすい分野です。多くの人には受け入れられない、もしくは知られていない作品も多くありますし、一般受けしない作品もあります。しかし、そういう作品にもファンがいます。特に、一般受けしないような「癖の強い」作品のファンはかなりハマっている人が多く、熱狂的です。こうして「カルト的に人気のある作品」が生まれるのです。
以上をまとめると「ネットには多くの「偏りのある」情報があり、人は自分の考え・目的に近いものを選択して見ている」ということです。だから、ただネットを見るだけだと「自分の考えに近い」ものだけを見て「自分の考えの傾向」が強化され、結果として「極端化」しやすいです。「これがいいなぁ」が「これでなければならない!」とか、そのように。
この傾向は昨今強化されているように感じ、一つの事象に対して「極端に反対する」もしくは「極端に賛成する」と言うグループが目立ちます。さらに、本来なら「棲み分け」で済むような話でも互いの主張を衝突させる現象がよく見られます。
今回はアニメで例えましたが、他の分野でもよく見られます。
なので、自分の考えをもっと良くしたい!成長したい!という人はこういうところに注意してネットを利用しましょう。
あと、ネットを見るよりは「色々な人と会い、自分で実際にやってみる」というのがいいと思います。
このようにネットの構造についてちょっと危ないように書きましたが、一方で「カルト的人気」な作品が熱心なファンの活動によって一般にも受け入れられ「多くの人に人気な作品」になることもありますから、ネットというのはすごいと思います。たぶんこれに当てはまるのは「空の境界」とかかな…一般的に有名かはともかく、もともと同人小説だったこの作品が小説を経て映画化されたというのはネットの力が大きいと思います。
多くの人が知っているわけではないけど、一部の人に好まれる「カルト的人気」作品というのは、実はネットが普及する前から存在していました。なので、ネットだけが「カルト的人気」を生んでいるわけではないということがあります。
しかし、ネットが「誰でも」書き込めることから、自分の見た作品の感想を書けるようになったこと。
その作品を「誰でも」見ることができ、それによって同じ作品が好きな人が集まりやすくなったこと。
そして、「誰でも」集まりを作れること。
これによって「カルト的人気」作品が以前より作られやすくなっていることは事実だと思います。
…ところで、昔の「カルト的人気」作品のファンはどうやってそれを共有していたのでしょうか?
たぶん、口コミかなぁ…。気になります。
おそらく、ネットが出る前は、周りにその作品を好きな人はおろか、知っている人もいなかったから、どれほどもどかしかったでしょうか。私も好きな作品がそこまでメジャーでなかったので、中高時代はそんな感じでした。
大学のサークルで自分の好きな作品の一つを知っている人に出会えたことの喜びを、今でも覚えています。
全然次元は違いますが、もともとユダヤの極少数にしか受け入れられなかった「キリスト教」が弟子たちの熱心な伝道でローマを経て全世界に広められたというのも、これと同じと言えるでしょう。
当時はネットがなかったわけで、弟子たちが一人一人に直接述べ伝え続けたことでイエス様の教えが全世界に広まったことを考えると改めて凄まじい功績だと感じます。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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