聖書通読2回目がもうすぐ終わりそうです

おはようございます、satoです。
今年6月から始めた聖書通読ももうすぐ2周目が終わろうとしています。現在ユダの手紙まで読みました。
あとはヨハネの黙示録で2周目終了です。

思えば、今年の6月に聖書を読む条件を立てることと四葉を通して「神様の心情をもっと感じたい」と思ったことがきっかけとなって聖書を一気に通読するようになりましたが、そのおかげか、今までに比べて聖書の内容が色々理解できるようになりました。

実はわたし、今まで「手紙シリーズ」の内容がさっぱりわからなくてですね…。
ローマ人への手紙やヘブル人への手紙など、書いている内容が結構難しく…パウロ先生は元々ユダヤ教の人で、律法に詳しく厳格にそれを守っていたからこそ、律法の視点とイエス様の信仰の視点、両方から解くことができるのですが、私たちはその両方を知らないので、読み解けなかったわけです。
2周目のメインはこの手紙シリーズの内容を理解することでした。そしてそれは少しずつですが、できているように感じます。

3周目に入る前にさらに精読をする予定なのですが、その際に改めて内容をまとめてみたいと思っています。
もちろん現段階では誤解している内容もあると思いますが、そこも含めてちゃんとアウトプットしたいなぁ…。

しかし、今年は自分の信仰ととことん向き合う一年だったと思います。
祈りにしても、どうして自分が祈るのか、これまで信仰生活をやってきた中で感じていた違和感、ずれ…こういったことを改めて考える機会が多かったです。今もそれを行なっています。
幸いなことにこれを行うことでさらに自分の中に信仰が蓄積されて、自分の中でしっかり消化されているのを感じます。
おそらくこういった「小さな引っかかり」を気にしてしまうのは私の特性ゆえだと思いますが、それを「悪い」ことと思わず、むしろ「確固とした信仰を作れる」と長所を見て育ててくださった神様に心から感謝したいです。

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

口語訳聖書 ヘブル人への手紙11章1節

私の好きな聖句がこちらなのですが、実際聖書を読むときも本当は一つ一つじっくり考えてこそ理解できるタイプの人間なのです。これまでは引っかかるところがあったら自分で調べているうちに別のところに関心がいって…ということが多かったのですが笑
今回はじっくりと考えることができて、それを通してもっと理解できるようになったから本当に感謝です。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。