「反復」は数学も神様との愛も深めさせる。

こんばんは、satoです。

最近論文を書く時に、もう少しだけ計算結果を追加しようと並行しながらいくつか問題を考えていました。
その中で、先週やっと証明できた問題を別の条件で考えてみました。そうしたら、思ったよりも簡単に証明できました(^^)
面白いのが、この問題が解ける過程。私は当初、先週の問題と同じ方法で、一辺に証明しようと考えて色々していたのですが、思ったより複雑になりました。そこで、二つの場合に分けて考えようかな…と考えました。
そうしたら「例外の方を具体的に計算してみなさい」という霊感が来たので、それに従って計算したところ、私の推測と違って思ったより簡単に証明できました。
次にもう一つのパターンでいくつかの例を霊感のままに計算したところ、ほとんど同じように証明できました。そうして、あ、全ての場合でこの方法が使えるじゃん!と気づきました。そうして、実際に示そうと思ったことが示せた訳です。

これを通して、先週の問題ももっと簡単に示せそうだ、ということと、もっと一般化できるかもしれない、という見通しが出ました。より簡単な証明は、一般化するときに大事な「ビジョン」を与えます。シンプルだから考えやすいんですよね。

今朝聞いた御言葉で、次のような話が出ていました。

科学者たちや経済学者たちも、ある現象や社会的構造を反復して観察することで感覚が生き返り、深いことを発見するようになる。

「反復」は数学においても重要な示唆を与えます。
今の私の話も、まさに「反復」して計算したから気づくことができましたし、先週の問題も「反復」して計算した結果を「繰り返し」観察することで、証明の糸口が見えたわけです。
このように、全ての数学における定理は「反復」して計算した結果得られた深い「発見」なのです。学校で習う「公式」も、「繰り返し」計算して生み出された先人の結果が集約されたものです。

どんなことでも、「反復」して行ってこそもっと感覚が研ぎ澄まされるし、もっと理解が深まります。
祈りも、御言葉を聞くことも、「繰り返し」行い、「繰り返し」考えることでより次元が上がっていくのです。
つまり、信仰生活もまた「反復」して行うことが必要です。
繰り返し神様のことを考えて、神様と対話して、神様と共に行うことで、神様との愛ももっと深めて、自分もより良く変化させていきたいです^^

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。