おはようございます、satoです。
私は色々なことに対して「どうしてそれがそうなのか?」ということが分かっていないと気が済みません(`・ω・´)
具体的には、社会の日本史とか世界史とかも「どうしてこの出来事が起こったのか」自分なりにでもいいので理屈があると理解できます。
そうでないと単なる暗記になって、細かい所で覚えていなかったりします(´・ω・`)
最近ですと免許の学科試験の勉強をしているのですが、「微妙に自信がない」ことって、実際に「理屈が分からない」ことだったりします。
やってみて結構抜けがあるので、そのあたりを勉強しなければなりません。まぁ、こうやってどこを勉強したら良いのか分かるのはとても良いことなのですが(^^)
さて、数学の研究をする際、一番重要となるのが「証明」です。
この点で、一見すると数学は他の学問と違うようにみえるかもしれません。
他の自然科学分野は「仮説」を立て、それを「実験」によって立証して、データと一致していることに対して「どうしてそうなのかを予想」する、という流れで研究が進みます。
一方、文系科目は「先行研究の定説」を並べ、そこから自論を展開する、という流れで論文が書かれている傾向にあります。
以上、違ったら教えてください(´・ω・`)
しかし、数学の論文を見ると「仮説」はあまりありません。(イントロダクションには問題意識は書かれていますが)あるのは「定義」と「定理」、そして証明です。
数学は先行研究の定説とか実験によって正しさを示すわけではなく、「証明」によって正しいかを示します。
故にデータの改ざん等に意味はない、とはっきり言えるのです。証明の論理的な流れを見れば(理論を理解できる人なら)誰でも正しいかを検証できるからです。
ところで、この証明というのはどうしてこの定理が成り立つのかを説明しているのでしょうか?
私なんかは数式の意味、どうしてそれがそういう定義なのかを気にして、それを理解しないと気が済まないのですが、そうしない人もいます。
そういう人からしたら「証明されたから正しい」ということになるのですが、私は「それがどうして成り立つのか」をちゃんと知りたいのです。
実を言うと、数学の証明というのはそれがどうして成り立つのか、というよりは「それが成り立つことを実証する」という意味合いが強いと私は感じます。
一つ一つの数字を代入する、ということが難しいので変数にしたり色々な工夫はしていますが、本質的には「どうしてそれが成り立つのか」という感じで説明しているわけでない、ということが多いです。
つまり、数学の証明というのは理屈を説明する、というよりは実証するという感じなのです。こう見ると、実は数学も他の自然科学と同じようなことをしています。
部分的には分かるのですが、完全に理解するのはとても難しいです。
しかし、「どうして成り立つのか」まで完全に説明できた時、その時には「定理の背景にある深い世界」を知ることができます。
それが私たち数学者の喜びなのです。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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