免許取得最後の試練・本免学科試験 その2

おはようございます、satoです。

本免学科試験、今回は受けてからの話です。

学科試験の勉強

受付が終わったのは、9時位。そこから試験会場に入り勉強していました。

仮免のときもそうしていましたが、私が勉強したのは演習問題を一通り解いて「間違ったところ」と「理屈が分からないところ」をチェックし、内容を理解した上でもう一度取り組むことでした。とはいえ、演習問題は10回分あったので、前日から移動時などでずっとやっていました。
会場では最後の一回分をやったあと、一通り見直して間違ったところを再度「理屈が分かるようにしてから」解き直しました。
特に苦手だった積載と駐停車禁止区域の方は記事でもまとめてみました。お陰で、この2つについてはちゃんとまとまった理解ができました。

さて、試験開始は11時近くになりました…(´・ω・`)
3月という免許を取るのに最適なこの季節。加えて今年は3/12から道交法が改正され普通免許で運転できる車の範囲が少し狭まるということもあって、とても多くの人が受験するようになりました。私のときは200人近くが受験していたようです。
このことで、そもそも受験資格があるかどうかを審議するのにとても時間が掛かったらしい、というのが大幅な遅れの原因でした。

…御言葉、聞けたよ…でも、スマホの電池が切れ掛かっていたのでやはり無理か…(´・ω・`)

いざ、試験開始

試験は50分、マークシート形式です。
前回書いたとおり鉛筆と消しゴムは自前のものでなく試験場が用意したものを使いました。
私は30分位で解いて、見直しをするイメージで計画をしていました。

ところが、本番では想定していなかった問題がいくつか出ていました。

「強制保険は原付も加入しなければならないか」

「バックでの発進は危険なので、車庫にはバックで止める」

「原付の二段階右折の仕方」

などです。…練習問題にもなかったよ(´;ω;`)

この辺りは「合図の目的」とか「危険かどうか」などを考えて、たぶんこれが正解だろう、というものを選びました。

あと、イラスト問題もいつもと違うパターンが出ていました。
これらは自分が運転する時にどうするか、3つの設問から総合して判断しました。チョットでも危険だなと感じたら×に。
ただ、私の「危険だ」と思う感覚は多少強すぎて、大丈夫なものも×にすることがしばしば。
基本的には危険だと感じたものは×で問題ありません。しかし、大事なこととしてあまりに遅いと交通渋滞につながるということもあるので…そこは要注意。
ちなみに、原則は「危険だと思ったら止まれるように速度を落とす」のと「交通法は遵守する」です。これで大抵のことは判断できるはず。
速度を落とす以外の方法で危険を回避する(加速する、ハンドルを切る)などは間違いであることが多いので要注意。

試験終了後

終わったら合格発表までしばし待機。
ちなみに、私のときは200人近くが受験していたので、色々時間がかかりました。
試験後も「合否判定」に時間が掛かり、「免許作成」にも時間が掛かりました。

その間に今週の御言葉を読み返して要約して、お祈りをしていました。
本当はこの日の明け方の御言葉を聞こうと思っていたのですが、スマホの電池が切れました…(´;ω;`)

大体1時間位で試験結果が出ました。その結果は…私の試験番号が…

ありました!

無事に学科試験を合格することができました!

「抽出検査」

学科試験が終わったあと、抜き打ちで技能試験を受けることがあります。これを抽出検査といいます。
これは仮免のときと同様に会場内で基本的な動きを確認する試験なのですが、何分判定するのが「警察官」なので、ちょっと厳し目、らしいです。
今回私は受けませんでしたが(たぶん人が多すぎたから実施されなかったのだと思われます…)、これに引っかかってしまうと最悪自動車学校で最初からやり直し、なんてこともあるようです。と私は自動車学校で聞かされました。実際はそういうこともなく、免許は取得できる…という話らしいですが。
とはいえ、よほど危険な運転をしなければ大丈夫、とも聞いています。あと、会場の経路は自動車学校のそれと違うところがいくつかある、という話も聞いています。

ここからの悟り

というわけで、学科試験が終わり、無事に試験を合格することができました(*´ω`*)
この結果を聞いた後、少し休憩時間があったのですが、そこで賛美を捧げました。

強く感動があったのは「神様の涙」という賛美の最初の歌詞

苦痛と涙の長い時流れたが、引き上げの御働きで御心全て成した

でした。

免許取得までにとても時間がかかりました。
その間仮免試験に一度落ち、インフルと年末休みと冬期講習で卒業試験を長らく受けられず、本当に色々あっての免許取得でした。
このことが、神様の長い歴史と重なって、

あぁ、私を摂理に呼んでその御心を成すために本当に長く苦労されたのだな…

と感動したのでした。

今週の御言葉は実践が実体を作り、神秘を創造するというものでした。
私も学科と技能、様々な実践の上に免許を得ましたが、そのように神様が実際に宇宙を創り、地球を創って私を創造したから、今私がここに存在します。
何もしないでは、何も得られないのです。

鄭明析先生も過酷な状況の中神様を愛し続けました。
貧困と苦痛の中でも
命がなくなるような戦場でも
迫害と困難の中でも
ひたすら、神様だけを見続けていました。
その中で得た御言葉を、私たちに伝えてくださったのです。

本当に感謝と栄光を帰す賛美を捧げながら、最後の免許交付、そして新免講習に臨むのでした…。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。