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どうして摂理にいると「つらく思う」時があるのか?その4

どうして摂理にいると「つらく思う」時があるのか?その4

さて、二番目「何をやっても嬉しくない」というのはどういうことでしょうか?
摂理に来ると「どうしたら神様が喜ばれるのか」をよく教えられます。そして、それをするようになります。
賛美をすること、祈ること、御言葉を聞いて行うこと、伝道すること…。これらは神様が喜ぶこととして教えられます。そして、神様が喜ぶことをすると自分も嬉しいのです。
人に親切をして喜ばれると、自分も嬉しくなりますよね。あれと似ています。
しかし、なぜか「賛美をしても、祈っても、伝道しても、御言葉を聞いても、嬉しくない、心が喜ばない」時があります。このときが辛く感じるときです。
このとき、私たちは次のような思考にいきがちです。
まず、「神様は私がよくしているのにわかっていない…」と疎外感を感じるパターン。これは、前に書いた「祈ったのに神様が聞いてくれない!」と同様に神様を誤解しているのでここは割愛します。
次に、「自分になにか悪いことがあって、喜べないのだろうか…」と考えるパターン。
この考えは「自分に原因がある」という点では正しい方向なのですが、この考えになったときにもいくつか気を付けないといけないところがあります。
まず「自分が悪いんだ…」と神様から離れて、自分を責めがちになります。自分に原因がある、と言っても「自分がダメ」というのとは違うのですが、ここをサタンが巧妙にずらし、自分と神様を離そうとします。実を言うと、これは日本人が陥りがちな傾向の一つです。
また、悔い改めて解決したにも関わらず「過去の罪があるから…」と考えるパターン。
悔い改めが成されていないなら悔い改めをすべきですが、神様が一度お許しになったことで再び追求なさることはありません。なので、ちゃんと悔い改めができたかどうかを確認した上で、過去の罪のことは忘れましょう。
自分の過去にある原因を解決して、罪もすべて告白して…それなのに「気になる」というとき。
このとき実は「自分が自分を見ている」状態に陥っているのです。自分に原因がある、と思って「自分だけで考えている」という状態になっているわけです。そうなるとますます喜べなくなる…という悪循環。
こういうときにはとりあえず神様に素直に告白しましょう。そして、神様をもう一度見て、賛美をしてみましょう。そうすると…喜びがわき出るはずです。
このように、「自分が自分を見て考えている」という状態もまた自分を辛くさせる原因になるのです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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