「過去の自分が私を見ている」-古い私を葬る-

おはようございます、satoです。

睡眠の質があまり良くない、ちょっと寝不足な状態が慢性的に続いている…。
やらないといけないことがあるのに、どうしてもダラダラしてしまう。

ここ最近の生活を振り返って思うのは…私が安心して寝られなかったり、ダラダラしてしまうのは精神的、あるいは信仰的な問題なのではないか?と思います。
特にここ最近、悔い改めが上手くできない感じがします。自分がスッキリするほどの悔い改めが。

ある時はゆっくり休みつつ、私の魂体と対話していました。
そうしたら、心が落ち着いていつもよりスッキリと眠れました。

が、それでも起きていると精神的に安定しません。その原因は「罪となる考えが絶えず浮かぶ」ことでした。

そんな状態であったある日、その日は休日…かと思いきや、なんと仕事がありました^^;前日休みだったのでその代わり、というわけです。
その日は御言葉を聞いたのですが、その核心は「悔い改め」でした。まさに、今の問題。

さらに、聖霊集会もありましたが、その核心も「悔い改め」でした。その御言葉を聞きながら、「本当に今の私はダメだ、本当に生まれ変わりたい」と思って全てを告げて祈ろうとしました。
ところが…心の何処かで「神様に従順できない自分」がいることに気づきました。それで悶々としている私。

このことについて深く祈った時、あることが思い浮かびました。

小学校の時、一人でアスレチック遊びをしている自分を見ている自分。

中学校の時、自分を見ている自分。

大学で、周りの人が笑っているのを見て「笑っている人がムカつく」と思っていた自分。

摂理で、「神様を愛する自分」を受け入れられない自分。

「お前は、そんな素直なキャラじゃない」という自分。

…そう、過去の自分が、私を見ていたのでした。ずっと自分の心を押し隠し、愛を頑なに拒んでいた自分が。

ちょうど4日前にこんなツイートをしていました。

まさに、この部分でした。
「人の目を気にする」自分もいましたが、それ以上に大きかったのは「過去の自分」の目でした。

これについて深くお祈りしたところ、ある悟りが来ました。

あの頃の私とは違うのは当たり前だ。今の私は「神様に出会った」のだから、違うのは当たり前だ。違って良いんだ。

このことを悟った時に、強く祈ることができました。「私が変わっていたのは当たり前だ!もう、過去の私ではない」と。
そうしたら、私の中にいる「過去の自分」は

「そうか、お前と俺は違うんだな…それはそうか…」

と何度も話していました。確かめるように。
それで、私の頑なな心が少し解かれました。

ず~っと信仰生活をしていても残っていた「石のような、死んだ感覚」。その原因の一端となるものが解かれ始めました。

今でも、自分はこういうキャラじゃない、神様のことを信じたり、ネガティブなことを考えない自分はおかしい、そう思うときはしばしばあります。
しかし、それでも昔よりは「自分が思いっきり喜んでいいし、ネガティブなことを考えなくていい」と思えるようになりました。
過去の私が見て「誇りに思う」と、過去の未練を捨てて消えられるように、今の私が新しく信仰生活をしていこうと思いました。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。