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行なったことは、確かに残っている。

こんばんは、satoです。

昨日、数学の問題を解いているときに昔考えていたものが出てきました。
いわゆる「カントールの対角線論法」の拡張で、「ある集合からその集合のべき集合への全射は存在しない」ということの証明でした。
しかし、その問題の答えがなかなか浮かびませんでした。この問題は色々興味があって深く考えていたのですが…。
その時はたくさん面白いことが見つかって、いろいろなことが理解できていたつもりだったのですが…。

咄嗟に出なかったのですが、しばらくして実際に紙に昔考えていたことを一つ一つ思い出しながら解いていきました。
私は圏論的性質に興味があったので、圏論的に証明することを試みていたのですが、それを思い出しながら一つ一つ書き出していきました。
そうしていくうちに、自分が昔どうやって解法を導いていったのかを思い出し始めて、最終的にはちゃんと解くことができました。
最後はきっちり集合論の言葉に戻して…(笑)

(ここまでで分からない言葉があっても気にしないでください(;’∀’)今回はメインでないので…)

これと同時に、私が昔どういうところに興味を持っていたのか、どういうところが面白かったのか、その時の感覚がもう一度蘇ってきました。
あの時ちゃんとメモを取っていなかったのですが、やはりちゃんと考えたことは、自分で考えて行なったことは確かに「自分の中に」残っていました。

前にも書きましたが、私たちが生きている中で熱心にやってきたことというのは確かに残っています。
昔やったことは、確かに自分の中にあるのです。今それをしていなかったとしても、やれば再び感覚が戻ってきます。
そういう意味で、行なったことは目に見える形で残っていなかったとしても「自分の中に」確かに残っているのです。

私たちは「行なったこと」によって形成されています。考えも、行動も。
昔行なったことで、今の自分が形成されています。それが良いことであったとしても悪いことであったとしても…。
そのように「今」行なったことは、未来に確かに残るのです。

昔よく生きられなかったとしても、今良く行なえば神様はそのように接してくださる。
そのことを想って、そして未来のことを考えて、今を大切に生きたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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