問題を「解決」し、雰囲気を「見る」という話

おはようございます、satoです。

人は「感覚派、直感派」と「論理派」、2つの種類がいる、と言われます。
摂理においては「恵み、感動によって力を受ける」人と「真理によって力を受ける」人がいる、と言われます。
もちろん御言葉から力を受けるのですが、それにも「解ける感覚」で喜ぶ人もいれば「愛」で喜ぶ人もいます。
このように多々ある人々の感覚、感性ですが、あえてそれを大別するなら「感覚派」か「理論派」かに分けられます。

と、ここまで書きましたが、私は感覚と理論、両方共使える人です。
もっというと「感覚的なところもあれば、論理的なところもある」というタイプです。

このことを実感したのがつい最近の出来事です。
教会の人たちで暗号を解く遊びをしていたのですが、その中の半分は論理力が、もう半分は感覚が、さらに両方共使って解ける問題がありました。
その中で、私は論理力が必要な問題はほぼあっという間に解いてしまいました(笑)
こういう暗号系は結構やっていたので、一目「見て」大体答えが出ていました。あまりの速さに出題者はビックリしていました(笑)

その一方、感覚が必要な問題は全然太刀打ちできませんでした。
この時気づいたのですが、私は論理と感覚の切り替えのスイッチがあって、それが一度論理に入ると結構頭が固くなるということでした。
その後しばらくして感覚に優れた人がある問題の手がかりを見つけて、それを使って私が最終的な答えを導き出しました。
このように感覚に優れた人も論理に優れた人もいてこそ全ての問題が解決するということが分かりました。

ここまでは論理的な私の話ですが、感覚的な方の私の話もあります。
昨日も書いたとおり、ブログには個性があり、その人の雰囲気が出ています。
そこから連想して色々な発想をしていく、というのが私のブログ紹介シリーズなのですが、これが紹介元も想定していなかった話になることが多いのです。
SolとSolution」とか「Lunaticから鄭明析先生の愛の話に至った話」とかは個人的にお気に入りです(笑)
このように、私は一つの情報から一気に「関連した情報が見える」ことがあります。俗に言う連想力、というものでしょうか。

で、昨日書いためぐみさんの雰囲気が「爽やか」だったので、当初は青空の写真を探していたのですが見ていると「神秘的」な写真が多かったのです。
それで「探しているのは爽やかなものだ」と思ってそれで探したら、とてもぴったりな写真が見つかったのです(笑)
ところで、これを見ている間、本当に不思議なのですが爽やかな雰囲気が「見える」感じがしたのです。見えるだけでなく、「刺さる」といいますか、なんとなく触感も。
そういえば、私のスマホはとてもカワイイLINE着せ替えを使っていまして、つい最近までは「すみっコぐらし」にしていました。
これも見ていてほわほわする、といいますか、目に優しいからそうしてるんですよね。これもそういう「触感」があるんです。

このように、私には感覚と論理両方が出てきます。それを上手く両立させて、うまく活用していきたいです。

ここまで書いて、「視覚」から「触感」がある感じについて、ふと思い出したのですが、もしかして「共感覚」というものでしょうか…。
前にMinoriさんがこれについて書いていたのですが→『文字や数字に色が見える「共感覚」を使ってみた。

思えば心当たりが多すぎるのです…。

例えば人のきつい言葉を聞いて「目に刺さる感じ」がしたり。これは聴覚から触感を感じてますが。

成人誌の表紙を見て「目が痛く」なったり。

でも、昔はそうでなかったんですよね。これはいったいどういうことなのでしょうか…?

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。