勝負の鍵は神様にある、という話

おはようございます、satoです。
本日は様々なことを通して「勝負事の鍵は神様にある」ということについて色々深く考えたので、その話をまとめたいと思います。
このような話をすると「じゃあ、自分が頑張るのはなぜなのか?」とか「神様にお祈りしたら勝てるって?」とかそういう疑問が出てくると思いますが、これについても気づいたことがあるので合わせて紹介していきます。

私は現在デュエル・マスターズプレイス(デュエプレ)というゲームをやっておりまして、一時期自分の信仰と生活を見つめ直すために離れていましたが、つい最近復帰してマスターに到達したりしなかったりしておりました。
デュエプレにはランクマッチという制度があり、そこで一マスターランクやその上のレジェンドまで到達することを目標とする人も結構います。私はどちらかといえば「デッキを構築する」ことが好みで、特に「キャラクターをモチーフにしたり、思いついた構築を試す」のが好きです。
ただ、デッキを構築するにもカードが必要で、それを手に入れる手段の一つとしてランクマッチでマスターを目指すこともあります。

今季のランクマッチではある特定のデッキ(それも現在環境でよく使われるタイプでないデッキ)でマスターに行くことに挑戦し、あわよくばレジェンド到達も目指そうかな…と考えておりました。
で、その目標の半分である「特定のデッキでのマスター到達」は無事に達成することができました。それが下の写真のやつです。
このデッキは特定の環境デッキには勝てないものの、それ以外のデッキにはなんとか対抗できるものです。
具体的には赤黒デッゾには完全不利、天門やミラダンテにはある程度戦える、バイクやモルネク、5cは完全に回られると負けるけど妨害できれば対抗可能、という感じです。

いわゆる黒単ネロギャロです。推しの黒川あかねのコラボカードマシマシ。

ここで面白いのが「勝てる時はたくさん勝てるけど、そうでない時は全然勝てない」ということがたくさんあったことです。たとえば比較的戦えるデッキに当たったり、トリガーや妨害カードを引けたりするときが続いたかと思えば、逆に赤黒デッゾにたくさん当たったり、相手の理想ムーブやトップ解決によって負け続けたりする、ということがしばしばありました。

このことを通して感じたのが「神様が勝たせてくださる時がある!」ということです。自分ではどうしようもないカードの引きやトリガーによって勝てる…というよりは神様が助けてくださっているのを感じたのでした。もっともこのことを悟ったのは礼拝前のお祈りの時でしたが。

それでは、神様が助けてくださるなら自分の技術やテクニックというものはいらないのでしょうか?
これについて私はこのように思いました。
「神様が助けてくださることがあっても、その機会を掴み活かすため、またそれに気づけるようにするために自分の実力が必要なのだ」

具体的な話をすると、あるデュエルで神様は展開を分かっているので、最初に逆転に必要なカードを私が持てるようにしてくださったとします。しかし、私がそれに気づかず最初にマナに埋めて使えなくしてしまったことでそのデュエルは負けてしまいました。これは「神様は助けてくださったけれど、自分がそれに気づけなかった」わけです。
こういうことが何回かあって、「あのデッキには攻め込まれやすいから、逆転のためにこのカードは手札に持ち続けよう」と判断できるようになります。そうして再び似たようなデッキと戦う時に実際にこの戦法によって勝利できるようになりました。これが「神様が助けてくださって勝てるようになった」ということです。

もちろん、このような戦法やテクニックを知っていたとしても必要なカードが手に入れられないことがあります。
こういう時はそもそもこのデッキの改善点を見つけるためだったり、別のことをする時間だったり、他に気づかせたかったことがあったり…とにかく神様が勝たせなかった、ということもあります。

私が思うに、全てのことには神様が用意してくださった「解決できる機会と方法」があるのですが、それをきづけるかどうか、実行できるかどうかが自分の実力や技術になるのかなと思いました。そして、それを得るために練習し自分の力をつけていくのかなと思いました。

結局のところ「神様が勝たせてくださっている」ということ、そして自分の努力や頑張りが決して無駄ではないということをちゃんと分かって受け入れられるようになりました。
そしてこのことをちゃんと受け入れられるようになった時、わたしはもっと神様により頼めるようになりました。
余談ですが、このことを受け入れられた後、教会でのスポーツでもはっきり神様により頼んで委ねたところいつも以上に楽しく、かつ上手にプレイすることができました。やっぱり神様しか勝たん(´っ・ω・)っ

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。