前の記事では自分の経験を踏まえた「数学の解法に至る三段階の法則」を書きました。
具体的には
・たくさんの計算、及び思考の末に「数学的実体」がイメージできる段階
・イメージされた数学的実体を数式化する段階
・数式化を通して、数学的実体を完全に理解する段階(つまり、問題が解けたり、概念が定式化される)
の三段階です。
そして、この三段階において土台となるのが「多くの計算や思考実験」と、その上に働く「閃き、インスピレーション」である、とまとめました。
このような過程を経て得られる「数学的実体」と、そこに至るための道筋がビジョン、言い換えると哲学というものになります。
代数幾何学を一人で革新した数学者アレクサンダー・グロタンディークは自伝の中で「ビジョンの大切さ」を説いています。
このビジョンを天才数学者は皆持っているが、現在の数学者はこのビジョンを大切にしない…と彼は話していました。
数学の論文を見ると分かりますが、数学論文は「定義→命題→証明→定理→…」という流れで進んでいます。どうしてその問題を考えたのかはイントロダクションに書いてありますが、「どのようにしてその証明を思いついたのか」、その試行錯誤は一切書かれていません。このことをグロタンディークは指摘しているのだと思われます。
ちなみに、グロタンディークはこのビジョンが女性的であると話し、女神が…とか言う独自の信仰を持っていましたが…それはまた後程。
ビジョンを持っていた天才数学者の一例として先に書いた「ヴェイユ予想」で有名なアンドレ・ヴェイユを考えてみます。
先にも書きましたが、ヴェイユは自身の予想を解く際に、「図形的性質」から導かれること、そのような概念が存在することを予想しました。
ちょいと専門用語を使うと「ヴェイユコホモロジー」というものを使うのですが…。
このヴェイユ予想の対象は「方程式の解からなる図形」です。それも実数とか複素数でなく、「p個の点からなる」有限体の…。
元々の点が有限個しかなく、その図形と言っても単なる点の集まり…としか思えなさそうですが、そこに対しても普通の図形(実数、あるいは複素数上のもの)と同じような性質がある、という発想はかなり飛躍があります。
もちろん、そこには「この性質があるなら、かつて証明された定理(の類似)から導かれる」という思考実験があるのですが…。
これが数学者の持つ「哲学、あるいは信仰」と言えます。
ちなみに、先のグロタンディークはこのヴェイユの哲学、ビジョンに基づいて実際にこの性質を満たすコホモロジーを創造しました。
さらに、このコホモロジーには大本となる図形の性質があって、それを「モチーフ」というのですが、このモチーフの性質について予想しました。
こんな感じで、グロタンディークは様々な数学的哲学(ヨガと言われたもの)を持っていました。最も、これを完全に理解できた人はいなかったようですが。
その一方で数学の魅力の一つとして「閃き、インスピレーション」を挙げる数学者も少なからずいます。
このインスピレーションという言葉、日本語では「霊感」と言います。つまり、霊的な働きの上に数学研究は成り立っているといえます。
とりわけ、数学は以前書いたように「目に見えない形而上学」に属していて、研究対象が物質や経済などといった目に見えるものでなく、思考や概念といったより目に見えないものを研究対象としています。
図形や数式も、実際の対象から「数、直線」などを抽出した「形式的」なものです。
それゆえ、通常の科学以上に「霊感、目に見えないひらめき」や「創造力」が重視され、またその働きを強く感じるところでもあります。
無論、このほかにも「論理的思考」や「計算力」も必要となります。これらは数学が「形式的」であるがゆえ、整合性が重視されるからです。
霊感は見えない世界を扱う数学において重要である同時に、霊感を受けた瞬間の喜び、快感はとても強いです。
ひらめき、それ自体はほかの分野でも必要ですし、その快感は得られます。
しかし、ほかの自然科学が「実験」というプロセスが必要なことに比べて、数学は「思考」のプロセスが大部分を占めているために現実の束縛が少ないです。
現実との接点が少なくなり、見えない世界により没入できる数学であるからこそ霊感というものがもっと受けられるということもあり、また霊感が強く働く、ということもあります。
新たな数学を「創造」するような天才数学者は、この「閃き」に対する哲学、信仰もとても強いです。
たとえば、エルデシュ数で知られる天才数学者ポール・エルデシュは「すべての数学の問題に対する美しい証明が書かれている本が存在する」と信じていました。
この本を「天書(The Book)」と呼び、数学の問題における美しい証明はすべて「天書から降りてきた」と考えていました。
ちなみに、天書というのは普通「キリスト教の聖書」を表すそうです。神様が書かれた真理の本、その中に数学の美しい証明がある、というわけです。
このようにすべての数学者にはそれぞれ「数学観」というものがあります。
それは形式主義、直観主義などと表現されるものだけでなく、「数学と自分との関わり」を表しているものでもあります。
数学を行う上で感じた「霊感」の働き、そしてそこからどのようにして数学の問題が解かれていったのか。
それが数学者の「哲学」となって、数式に反映されていくのです。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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