摂理にいる私が感じる一番の奇跡。

おはようございます、satoです!

唐突ですが…
私が摂理にいるのって、本当に奇跡だと思いました!何故かって、私「あまのじゃく」だったから。素直じゃなかったんです、自分に。

…教会の中では随一の真面目、天然、幼子キャラとよく言われていた私ですが、実は「わからないことをいつまでも気にする」し、「納得いかないと反発したり、ぶつかったりする」んです。そういう態度をとっていることもあります。ただ、周りがいい人過ぎるのか、はたまたあまりに子供っぽいのか、それが伝わっていない(つまり、反発していたとしても他の人から見たらそう見えない)らしいのですが。どうしても腑に落ちなかったり、感覚的にずれてると何度言われても「うーん」となります(((^^;)

最初は私、いつか摂理を離れるのではないか、先生を、周りの人を裏切るのではないか…という考えをずっと持っていました。
イスカリオテのユダの話が出る度、「あれは私のことだ」と思っていました。
それでも、あるいはだからこそなのか、私は「ユダがどうやったら裏切らずに済んだのか、悔い改め立ち戻れたのか」を考えていました。あと、サウル。自分は「失敗した人だ」という考えが強かったのでしょう。

それでも、私が摂理にいるのは祈りの中で主と通じて、私の気持ちを受け止めてくださる経験を多くしたから、なのだと思います。これは割と確信しています。御言葉で答えが出る時もありますから!
そういうことを通して、裏切るかもという考えが「裏切りたくない!」に変わってました。あんなに自分に否定的だった私が少しずつですが、自分をよく見れるようになったのです!(*^^*)

また長く祈れず、祈りの時間が苦痛だった私。
今では祈ることを通して自分の心を整理して、主と対話し、一番楽しいと思えるようになることが多くなりました。
この変化こそ一番の奇跡!そして、神様のことを知らず、再臨も待ってもいなかった私が、今こうして神様と共に生きれるようになったことが奇跡!
この奇跡に出会うきっかけをくれた友人と御言葉を教えてくださった鄭明析先生に感謝します!(^人^)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。