おはようございます、satoです。
これは以前実家に帰省した時の話。
この時は弟に送ってもらいましたが、その中で祈る時間になったので祈りました。
…普通に考えたら、信仰の話を一切してない弟の前で祈ることはできません。
私も声には出さず、黙祷してました。
いつも私は声に出すことでだんだん集中できる…というより声に出さないと考えがはっきりしないために、黙祷が苦手でした。
自分が祈るときも、祈りを受けるときも集中できませんでした。
教会でもそうなのに、まして弟の車の中。
世の中の(オタクな)曲が流れる状況…さすがにヘッドホンして賛美を流しましたが、それでも聞こえるオタ曲。
普通に考えたら集中できないです。
でも、私は「主の心情」を考えました。
主の心情は…今まで一人で、誰も知らない中一人で大きな、命を懸けた十字架を背負う…。
そのとき、声には出せませんでしたが、確かに主の心情に触れた気がしました。
いや、確実に触れたのです。
胸が熱くなりました。もっと頑張ろうと火を受けました。
環境が全てでない。
自分の状態が全てでない。
大切なのは「やろうとする心」だ。
御言葉でおっしゃったこの言葉を感じた瞬間でした。
時間や状況、自分の状態は関係なく、自分がどう考え、どのように神様を思うかによって祈りも仕事もできます。
大変な状況でも、諦めずに続けて祈っていきたいです。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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