摂理人satoの事件簿。その4

「人に遠慮して何も言えない。」
これは摂理に来る前からずっとありました。
何か困ったことがあってもなかなか親に話せない。
学校でつらいことがあっても、親に話せない。(単に忘れてるだけ、ということもありましたが(笑))
嫌でも友達の誘いを断れない。
そんな性格を持って、とてもつらかったことがあります。
摂理に来てから、私は「伝道」をしていました。端的に言えば、教会に人を連れてくることです。
しかし、摂理ではただ「教会に来る」ことだけでは伝道をしたとは言えません。なぜなら摂理は「神様と愛し合う」場所。だから、摂理で礼拝を守ることは「神様と愛し合う」ことと同じです。
なので、信仰をしっかり持たないといけないし、そのためにはたくさん知るべきことがあります。それをまとめたのが「Bible Story」や「30個論」と呼ばれるものです。
そういうわけで、私は連れてきた人が御言葉を聞けるように色々やり取りをするわけです。ところが、私たちにとっては必要な御言葉も、何もわからない人にとってはそのように感じない。だから、「他の用事がある」って言って突然来ない、なんてこともよくあります。
私もやり取りしていた人がそう言って来れなくなったことがありました。
それを当時の牧会者に伝えたら…
「どうして?」
と一言。彼がどうして来れなくなったのか、それを聞いてきたのです。
ところが私は「来ません」と相手が言ったらそのままそれを受け入れてしまっていました。そのためその理由は把握していなかったのです。
また、把握していたとしても
「それならもう少し粘ってみて」と言われることがありました。
今にして思えば、これは「いい練達」だったのですが、当時の私にとって、「一度許諾したことをもう一度問いただす」というのはとても不自然で抵抗の強いものでした。しかし、上の人の言うことは聞かないと…。そんな「人本主義」な私は当時、とても心が苦しかったです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。