おはようございます、satoです。
聖書通読から感想とか感じたことを述べるシリーズ、今日は大預言書最後の一つである「ダニエル書」について書きたいと思います。
ダニエル書は内容がとても難しいのですが(特に後半の黙示)、ダニエルに関する話に限れば色々なことを学ぶことができます。
ダニエルとは
ダニエルというのは大預言者の一人で、特に夢や幻を見て、それを解くことのできるくらい知恵が聡明な人です。
ユダの王エホヤキムの治世の第三年にバビロンの王ネブカデネザルはエルサレムにきて、これを攻め囲んだ。主はユダの王エホヤキムと、神の宮の器具の一部とを、彼の手にわたされたので、彼はこれをシナルの地の自分の神の宮に携えゆき、その器具を自分の神の蔵に納めた。-ダニエル書1章1-2節
ダニエルがいた時期は、ちょうど第一次バビロン捕囚があったときで、この時ダニエル自身も捕虜としてバビロンに連れて行かれました。
時に王は宦官の長アシペナズに、イスラエルの人々の中から、王の血統の者と、貴族たる者数人とを、連れて来るように命じた。すなわち身に傷がなく、容姿が美しく、すべての知恵にさとく、知識があって、思慮深く、王の宮に仕えるに足る若者を連れてこさせ、これにカルデヤびとの文学と言語とを学ばせようとした。そして王は王の食べる食物と、王の飲む酒の中から、日々の分を彼らに与えて、三年のあいだ彼らを養い育て、その後、彼らをして王の前に、はべらせようとした。彼らのうちに、ユダの部族のダニエル、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤがあった。-ダニエル書1章3-6節
バビロンの王ネブカドネザルはイスラエルの王の血統と貴族の中で容姿端麗、聡明な人を王に仕えさせようとしました。
その中にダニエルがいました。
ダニエルの信仰と食事
ここで、この聖句の中にもあるように王は自分の食べるご馳走や酒を与えようとしましたが、
「どうぞ、しもべらを十日の間ためしてください。わたしたちにただ野菜を与えて食べさせ、水を飲ませ、そしてわたしたちの顔色と、王の食物を食べる若者の顔色とをくらべて見て、あなたの見るところにしたがって、しもべらを扱ってください」。-ダニエル書1章12-13節
というように、自分たちが食べるもので身を汚さないように王の配下の人に話しました。その結果、野菜だけを食べたダニエルとその仲間は
十日の終りになってみると、彼らの顔色は王の食物を食べたすべての若者よりも美しく、また肉も肥え太っていた。-ダニエル書1章15節
というように健康な体を保っていました。
最近、『摂理スポーツ』というスポーツを専門とした摂理人が書いているブログで健康管理についての鄭明析先生の御言葉をまとめた記事がありましたが、そこでも
①菜食中心に食べることだ。野菜と果物をたくさん食べることだ。
②辛く、塩辛く、甘い食べ物は避けることだ。
③水をたくさん飲むことだ。
④夜食はやめることだ。
⑤体に良いものを食べなさい。-【連載】エキスパートへの道~健康管理・食べること~より抜粋
と菜食中心に食べることについて書いてありました。
ちょっとお高いですが、自炊ずるときには意識してみると良いかもしれませんね。ちなみに、私は年を経るごとに野菜が好きになってきました。お肉も好きですけど…(´・ω・`)
大事なのは、ダニエルは命をなくす危険があったとしても、神様の御言葉を守り、信仰を保つことを優先したという篤い信仰を持っていた人であるということです。
このダニエルの姿勢は他の箇所でも出てきます。
ダニエルの信仰とライオンの穴の奇跡
国の総監、長官および総督、参議および知事らは、相はかって、王が一つのおきてを立て、一つの禁令を定められるよう求めることになりました。王よ、それはこうです。すなわち今から三十日の間は、ただあなたにのみ願い事をさせ、もしあなたをおいて、神または人にこれをなす者があれば、すべてその者を、ししの穴に投げ入れるというのです。それで王よ、その禁令を定め、その文書に署名して、メデアとペルシャの変ることのない法律のごとく、これを変えることのできないようにしてください」。 そこでダリヨス王は、その禁令の文書に署名した。
ダニエルは、その文書の署名されたことを知って家に帰り、二階のへやの、エルサレムに向かって窓の開かれた所で、以前からおこなっていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した。-ダニエル書6章7-10節
時系列が違いますが、ペルシャがバビロンに勝利したあと、ダニエルは国の大統領の立場になりました。
それを妬み、嫌った人々が集まってダニエルを殺そうと「王以外に願い事をしたものは殺される」という決まりを作らせました。
しかし、ダニエルはそれを知ってなお、神様に対する祈りを止めませんでした。どれほどの信仰であるか、ここからも感じ取れます。
その後ダニエルは法律通りライオンのいる穴に入れられましたが
こうして(ダリヨス)王は朝まだき起きて、ししの穴へ急いで行ったが、ダニエルのいる穴に近づいたとき、悲しげな声をあげて呼ばわり、ダニエルに言った、「生ける神のしもべダニエルよ、あなたが常に仕えている神はあなたを救って、ししの害を免れさせることができたか」。ダニエルは王に言った、「王よ、どうか、とこしえに生きながらえられますように。わたしの神はその使をおくって、ししの口を閉ざされたので、ししはわたしを害しませんでした。これはわたしに罪のないことが、神の前に認められたからです。王よ、わたしはあなたの前にも、何も悪い事をしなかったのです」。
このようにライオンの口が閉ざされ、ダニエルは命を落とすことがありませんでした。
この辺りはキリスト教の教会ではとても有名で取り上げられる奇跡ですね。
ダニエルの仕える精神
しかし、私はこの奇跡そのものよりもどうしてダニエルがこのような奇跡を起こせたのか?、言い換えると神様はダニエルのどのような行いを見て働きかけたのかに注目してみたいと思います。
先程も書いたように、ダニエルは自分の信仰が奪われるようなことがあれば命を賭けてそれを守り抜くという大胆さがありました。
しかし、その一方で、次のような聖句もあります。
その時、その名をベルテシャザルととなえるダニエルは、しばらくのあいだ驚き、思い悩んだので、王は彼に告げて言った、「ベルテシャザルよ、あなたはこの夢と、その解き明かしのために、悩むには及ばない」。ベルテシャザルは答えて言った、「わが主よ、どうか、この夢は、あなたを憎む者にかかわるように。この解き明かしは、あなたの敵に臨むように。-ダニエル書4章19節
この聖句はネブカドネザルが見た神様の啓示の夢についてダニエルに尋ねる部分ですが、ここで着目したいのが太字で強調した言葉。
この啓示の夢は端的に言うと「ネブカドネザルが高慢である故にその地位から退け、野に追いやる」というものなのですが、ダニエルはこの夢について「この夢は王でなく王を憎むものに関わるように」と話しました。
これはつまり、ダニエルは王のことを自分のように憂えていたということなのです。
よくよく考えてみると、これは本当に不思議な事です。
というのも、ネブカドネザルは肉的に見たら「自分の国を襲い、滅ぼした張本人」なわけで、自分の親兄弟が殺された可能性も大いにあります。
ダニエルは
それでわたし(ダニエル)は、わが顔を主なる神に向け、断食をなし、荒布を着、灰をかぶって祈り、かつ願い求めた。 9:4すなわちわたしは、わが神、主に祈り、ざんげして言った、「ああ、大いなる恐るべき神、主、おのれを愛し、おのれの戒めを守る者のために契約を保ち、いつくしみを施される者よ、…主よ、聞いてください。主よ、ゆるしてください。主よ、み心に留めて、おこなってください。わが神よ、あなたご自身のために、これを延ばさないでください。あなたの町と、あなたの民は、み名をもってとなえられているからです」。
わたしがこう言って祈り、かつわが罪とわが民イスラエルの罪をざんげし、わが神の聖なる山のために、わが神、主の前に願いをしていたとき、-ダニエル書9章3-20節
とあるように、イスラエル民族に対する熱い民族愛がある人です。
ですが、ダニエルは自分の国を襲った王に対して憎むことをせず、むしろ自分の主君と思って、神様に接するように真実に、誠実に接しました。
これは、普通の信仰ではできないことです。もっとも、それは…
まことにイスラエルの人々は皆あなたの律法を犯し、離れ去って、あなたのみ声に聞き従わなかったので、神のしもべモーセの律法にしるされたのろいと誓いが、われわれの上に注ぎかかりました。これはわれわれが神にむかって罪を犯したからです。-ダニエル書9章11節
と、バビロンに捕囚されたことが自分たちの罪によって神様が成されたことであることを知り、それを信じているからできていることなのでしょう。
このような姿勢と信仰の行いによって、神様は「夢を解き、命を救うみ働き」を成されました。その結果、
そこでわれネブカデネザルは今、天の王をほめたたえ、かつあがめたてまつる。そのみわざはことごとく真実で、その道は正しく、高ぶり歩む者を低くされる。-ダニエル書4章37節
というように、ネブカドネザルは偶像の国であったにもかかわらず神様を信じ、仕えるようになりました。
またダニエルのことを信頼し、寵愛しました。これはバビロンからペルシャに変わっても同じで
ダニエルは彼のうちにあるすぐれた霊のゆえに、他のすべての総監および総督たちにまさっていたので、王は彼を立てて全国を治めさせようとした。-ダニエル書6章3節
というように王がダニエルを大統領のようにしようとしました。また、先程のライオンの聖句にもあるように、ダニエルが(悪評者の策略で)殺されそうになったときも本気で憂え、どうにかして救おうと心を砕きました。それほどまでにダニエルを信頼し、寵愛していたのでした。
そして、最終的には
わたしは命令を出す。わが国のすべての州の人は、皆ダニエルの神を、おののき恐れなければならない。-ダニエル書6章26節
というように、自分のいる国で神様を認めさせる、国を覆すような働きをしたのでした。
私達が起こすべき「革命」
ダニエルの姿勢から、私たちは「大きなもの(国や社会など)を覆すためには力で行うのでなく、むしろ自分のいるところで忠誠を尽くし、神様を信じ愛することが必要」ということを学びます。
僕たる者よ。キリストに従うように、恐れおののきつつ、真心をこめて、肉による主人に従いなさい。-エペソ人への手紙6章5節
これは新約聖書に書いてあることですが、それは今も同じです。
私達が今の社会を変えたいと、「革命」を起こしたいと思うならば、まずは自分が仕えるべき上司や社長に「神様に仕えるように」忠誠を尽くすことが始まりなのです。
しかし、根本は神様に仕えることであるので、神様の御言葉に反することがあれば、人格的に、しかしはっきりと断らなければなりません。
つまり社会的に信頼を勝ち得る行いをしつつ、信仰を堅く守るということです。決して簡単なことではありませんが…。
しかし、それを実践した摂理人は多くの場合、社会的信頼を勝ち得ています。
こちらは台湾摂理の中で社会的に活躍している人の経緯を紹介した番組です。
また、自分のいる家庭で10年間愛を持って仕え、接したことで摂理のことを知らない主人が変化した、という証が次の記事に書かれています。
私も むすめを愛で育てる挑戦をしながら
主人にも やわらかく伝えてきました。
でも 自分のやり方 自分の信念を捨てるのは
主人には とてもむずかしいように見えました。
(…中略)
そっか まずは主人を いっぱい愛することなんだ。
どんなことも 愛することが ほんとに大切なんだ。
そう気づいて むすめといっしょに
主人がいらだつ時も 人間関係がこじれた時も
おうちの中で ただ 主人をあたためました。
毎日 主人のために祈りました。
詳しくは10年かかった 主人の変化-摂理宗教の女性ブログ-Colorful Harmonyにて。
最初に私達が起こすべき革命は自分が神様の御言葉によって神様を愛するものとなる「自己革命」です。
それが成された時、自分の周りが、そして社会が大きく変わっていくことと信じます。ダニエルがそうしたように。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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