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摂理のいいところ:納得できるまで考えられる

こんばんは、satoです。

今日は摂理のいいところについて書きたいと思います。それは
「自分で決められる」
ことです。え、それって当たり前だよね、ですって?

ちょっと考えてみましょう。
会社に入れば大体「すべきこと」というのは決まっています。
そして、それが「たとえ嫌な事だとしても、やりたくなくても、よく分かっていなかったとしても」従わなければならない、ということは多いと思います。これは会社に入れば誰しもが通る道です。

摂理でも「これをしなさい、これをするな」という御言葉は多くあります。
たぶん、どんなところよりも多いんじゃないでしょうか(笑)
しかし、摂理の場合は「○○をするな、○○をしなさい」という話の前にまずそもそもどうして「信仰を持たないといけないのか」を教えてくれます。どうして神様を愛さないといけないのか、どうして信仰を持たないといけないのか、そもそもどうして人は生まれてきたのか…などなど、「自分たちが生きる目的」をしっかりと教え、それを感じられるようにしてくださいます。
そして、そのうえで「御言葉を行うのか」、一つ一つの行動を選択できるようにしてくださいます。

だから、納得できないときは「神様にお祈りして、疑問点を尋ねてみる」ということができます。
そうやって、神様と対話して、相談して、納得できたら次に進む、ということができます。そういった意味で「自分が決められる」のです。
むしろ、何もわからないまま信じる、ということを鄭明析先生は勧めていません。鄭明析先生は「確認して信じなさい」とはっきりと御言葉で話しています。
また、切らなければならないものでも「どうして切らないといけないのか」自分の中で納得できていないと根本的に切ることはできません。これは私が自分の中にある悪い感情(怒り、嫉妬など)をなくそうとしたときに実感したことでもあります。

だから、摂理は「自分がしっかりと納得して自らできるようにさせる」場所なんです。そこに強要や脅迫はありません。
本当にお祈りして、一つ一つ向き合えば自ずと御言葉通りにしたくなる、のです。
そういう意味で、摂理というのは本当に自由な場所だ、と私は感じています。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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