こんばんは、satoです。
摂理の御言葉でこんな話がありました。
運は行なうことで来る。
鄭明析先生の明け方の箴言より
確かに…成功する人は「運が良かった」ということが多いですが、実際その人が行なうことがなければその運もなかったように思います。
たくさん行なったから、運も巡ってきたという印象があります。
ところで、そもそも「運」とはどういう意味でしょうか?運という漢字の意味を調べてみると次の意味が載っていました。
①「はこぶ」
ア:「移す」、「物を持ち、または積んで他に移す」(例:運送)
イ:「動かす」、「移し動かす」
ウ:「推し進める」②「めぐる」、「まわる」、「まわり動く」
③「めぐらす」
ア:「まわし動かす」(例:運動)
イ:「働かせ用いる」(例:運用)
ウ:「もてあそぶ」④「めぐり」
漢字辞典-OK辞典より
ア:「天体のめぐり」
イ:「めぐりあわせ」、「さだめ」(例:運命)
ウ:「時」、「おり」、「機会」
この御言葉で話されている「運」というのは④のイです。もっと詳しく調べると
1 人の身の上にめぐりくる幸・不幸を支配する、人間の意志を超越したはたらき。天命。運命。「―が悪い」
2 よいめぐりあわせ。幸運。「―が向いてくる」「―がない」
うん【運】の意味-goo国語辞書
という意味があります。自分の意志や力を越えた働きを「運」というわけです。
ところで。
先ほどの漢字の意味をよく見てみると、運というのは「運ぶ」とか「巡る」という意味や「時」、「機会」という意味も含んでいました。
さらに考えると、動かしたり、推し進めたり、そういう力を「運」ということも出来ます。
そもそも、どんなものも「力」がなければ動きません。天体だって何かしらの力がなければ公転も自転もしないわけです。そして、その動きは「私達人間の意志」を越えています。
だから、天体が動くことだって「運」なのです。
また、自分が生命活動をしていることも「自分の意志」を越えていますよね。だから、「自分が生きている」ことも一つの「運」なのです。
こう考えると、天体が動くこと、自分が生きていることも「当たり前」ということは出来ないと感じます。
たとえ天体の動きが微分方程式で定まっていたとしても、その初期値がどのようになるのかは定められません。
(つまり、天体がどう動くかは最初の動作によって定まる、という意味です)
そして、その初期値を決められるのは私達とは限らないのです。
私たちは生きている時点ですでに「運」を持っているといえます。
そして、それをどのように使うかによって、自分を巡る運が変わってくる、というのが「運は行なうことで来る」という御言葉の意味なのかなと思いました。
自分が行なうことによって、「自分の限界を越えた」ところにも影響を及ぼし、それが自分に巡ってくる。
自分が初期値を決めると、自分の意志を越えた「法則、方程式」によって世界が動き、それによって自分の状況が変化する。
そう考えると、自分の行いが如何に重要か、そして「自分が行なうことで運命が変わる」ということが少し理解できた気がします。
たとえ、「運がない」ような状況だとしてもそれを行なうことで「運」が巡ってくることがある。
むしろ、「運がない」というように見えても、実は「自分の実力を付ける」ための鍛錬になるということがある。
「運」というのは、実は自分の見方によって変わるものなのかもしれませんね。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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