しっかりせねば、という「真面目病」

おはようございます、satoです。

色々したいこととしなければならないことがあるのですが、結局何もできない状態がよく出ます。

一言で言うと、この原因は私自身が持つ「怠け病」なのだと思います。
人は大変なことと楽なことがあると、放っておけば楽な方に流れてしまいます。
「水が高いところから低いところに流れる」ように、この事自体は自然なことではあります。
それが続くのが「怠け病」なのです。

それでは、どうやってある意味自然な流れに勝つでしょうか?
それには色々な方法があります。
「しなければならない」と考えて行う方法。
「これは楽しいことだ」と考えて行う方法。
あるいは、好きなことから始める方法。

ところで、私はたくさんの「したい」ことがあります。
具体的にはブログを書いたり、物語を書いたり、数学の研究をしたり、祈ったり、賛美したり、といったところでしょうか。
これらは一度始めれば、専念すれば楽しいことだ、ということは経験してます。
だけど、これらのことを行うことができません。
何故かを考えたとき、私が行動するのはいつもしなければならないことにぶつかったときだからです。
もう一つ、「やりたいと強く思った瞬間にやる」場合もありますが…行動の起点が「しなければならない」ことであることが本当に多いです。
朝起きるのも、仕事に間に合う時間。あるいは、明け方の祈りの時間に「行かなかればならない」からその時間。
自分が「やりたいと思って自発的に」するのとは対極の、受け身の姿勢。

このような行動形態は、過去今までずっとしてきた「習慣」でした。
小学生のときから、何もしてないととりあえず家にある漫画や本を読んでばかりで、何もしない。
でも、小学生のときは…いや、大学に入るまでは外で自転車を漕いだり、自分で絵やら何やら書いていたので、今はそれよりも何もできてない気がします(´・ω・`)

たぶん、それは「やりたいこと」の結果が重すぎるから、なのかな、と思います。
ブログなら1000字くらいを目安に。
物語なら書きたい構想を順番通りに。
何事もきっちり計画を立てているからこそ、それから外れたことができない。
祈りも、賛美も(環境の問題とは別に)「こうあらねばならない」という目標が高すぎて、やったあとスッキリしない。
その重さこそが、私のもう一つの問題である「真面目病」です。

私には「しなければならない」ことが多いです。
問題は「自分が求めている結果の次元が高すぎる」ということかもしれません。
もっとしなければならないことをしたら褒めていい。認めていい。
できてないところだけ見ないで、できてるところを見たらいい。
神様は両方共に御覧になってます。

真面目なのは良いことですが、もっと軽い気持ちでできるように…計画は今の自分に見合った、神様が願う形でできるようにしていきたいです。
重くなりすぎずできるように、ね。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。