私たちは逆流する生を生きなければならない。

おはようございます、satoです。
鄭明析先生の箴言でこのようなものがあります。
「私たちは逆流する生を生きなければならない」
この言葉を見て、あなたは何を感じますか?

私たちは、生きているなかで色々なことに「気がつかないうちに」流されてしまいます。
今目の前にある仕事に。
受験間近の受験生は、目の前の試験に。
あるいは、テスト、レポート、セミナーの準備…。
そして、テレビやネットに流れる様々な情報…。
遊び、飲み会。
周りの人の声。
様々なところに時間を、心をとられてしまいます。

人間は元々「外界からたくさんの影響を受け、環境を変えていくるように」作られました。ただ生きるだけなら、こんな機能は必要なかったはず。どうして神様はこのような機能を与えたのでしょうか?

私たちは生きていく中で色々なことを考え、感じて生きています。
仕事のこと。勉強のこと。遊びのこと。周りの人の声、反応。

どうやったら自分の愛する人を喜ばせられるのか?
どうやったらお金を得られるのか?
あの漫画の続きはどうなるのか?
お袋は、元気にしてるかな?

…本当に、様々です。

その中で、こんなことを考えたことはありませんか?
「私はどうして生きているんだろう?」
「私は死んだらどうなるんだろう?」
「私の人生の目的って何?」

人は高々100年生きるだけの存在です。それなのに私たちは不思議と「永遠、消えないもの」のことを考えています。
「もっと生きたい。消えたくない」って。

これはいったいどうしてでしょうか?

人生の目的、それは鄭明析先生もかつて想像を絶する貧困と将来が見えない状況の中で、絶えず考えていました。
「こんな生を一生繰り返すのだろうか?私は何のために生まれてきたんだろうか?」と。
そして、その答えを得るために牧師先生が手にとったのは、聖書でした。

私たちも含め、天地万物すべてを創造なさった神様。
そんな神様は私たちの問いにどのように答えられるのでしょうか?
世の中の忙しさ、苦しさに溺れてしまいそうなこのとき。
ほんの一時でもすべてをおいて。

「私は何のために仕事をしているのか?私は何のために生きているのか?」
振り返って、確認するのはいかがでしょうか?

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。