ある摂理人のちょっと忙しい一日。

おはようございます、satoです。

突然ですが、鄭明析先生は今日までずっと明け方1時に起きて祈り、ご飯をあまり食べずに御言葉を書いたり、御言葉を聞いている弟子たちのために手紙を書いてくださったり、一日三回祈ったりしています。
こう書くと、先生はとても苦しい生活をしていると感じますが、先生本人は「摂理にいる人みんなが引き上げをなせるように」と喜んで生活してます。しかし…実際この生活はどうなのか?やっぱり苦しいのではないか?

同じ考えを持って、同じく行ってこそその人の心情がわかる
これは鄭明析先生が教えてくださった御言葉です。

ある日の生活がちょうど現在の先生の状況と似ていたので、私の生活を書いてみたいと思います。
この当時は学生で「明け方1時から祈りをして、色々していたら、今の先生の状況を体験していた」のでいつもとはだいぶ異なります。また、社会人生活をするようになった現在はもっと違う生活になっています。
が、当時の自分を振り返るということもあって、ほぼそのまま掲載したいと思います。

「最後の日くらいは1時祈りをしよう!」と思ったのがこの一日の始まりでした。
「明け方の祈りが大事だ」という中で、私は明け方に起きるのが苦手な人で、その週は御言葉が始まる5時どころか…7時過ぎに起きる日々(-_-;)おそらくこのまま寝たら起きれないだろうな…ということで。
1時まで徹夜することにしました。
と言っても、実際には12時過ぎに「仮眠しよう…」と思って、起きたら2時になっていましたが…。
それでも先生が祈っていらっしゃる時間内に祈ることができ、「先生と同じ時間に祈ってる!」と恵みを受け。
以後明け方の礼拝を捧げたあと5時まで祈りました。

その後、教会主催のイベントに向けて少し休もう、7時に起きよう…と思い、起きたら8時(-_-;)携帯のアラームは確かに止めたんだけど…。
集会の準備があるため、ご飯は食べずに会場へ。イベントも新しく来た人が「とてもよかった!」という感じで、とても好印象。
私も色々自分を見つめれてよかったです。あ、ここでお菓子を少し食べました笑

その後、食材を買って家に帰ると12時半。ご飯を作ろうと思ったのですが、13時から先生が祈っているので、それに合わせて祈るためにご飯を食べずに聖殿へ。
1時間祈ったあと、教会の兄弟とともに伝道へ。ここ最近の御言葉を聞いて伝道したい!と思っていたのでちょうどいいや!感謝!と思いながら命を探す。
ここで共にしていた兄弟からパンを一つ買っていただきました。先生がくださった、と思い感謝していただきました。

その後、お客さんが来るので、家に帰って掃除。普段掃除していないとこんなに苦労するのか…と台所を掃除しているときに感じ、日々の悔い改めの大切さを噛み締めました。

16時からお客さんを囲んでカフェタイム。お菓子をつまみながら、兄弟の証を聞いて「一人一人に時代の使命者が働かれている」ことに感動し、普段泣かない人が「先生に救われた」と泣いたり、最近まで教会に来れなかった人が泣きながら悔い改めたり…と非常に濃い時間でした。

これが19時近くまで続き、その後夜の先生の祈りタイムに合わせて祈る。一時間ほど「先生が救ってくださったことに感謝」とか「自分の考えを捨てられるように」とか「ブログで先生を証したいので文章力ください」とか祈っていました。

20時から明日の礼拝の準備・賛美練習をしたあと、聞いていなかった御言葉を補い、帰ってから今までこの記事を「あーでもない、こーでもない…」と言いながら書いています。

こんな感じで生活していましたが、やってみて感じたのは「つらいこともあるけど、それよりも先生と同じことをしていることが嬉しいのと、御言葉を実践している自分に自信がわき、力が出る」ということでした。これも先生の祈りの条件のお陰ですが。

結論:やはり、御言葉を実践すること&先生を考えから無くさない生活は力を受ける!

P.S今日のご飯は結局お菓子とパン一つでした。先生も実際(ちゃんとしたご飯ではあると思いますが)量はこのくらいなのかな…。
あ、でもお菓子をご飯にしてはいけないって、先生言ってたなぁ…笑 ちゃんとご飯食べます(-_-;)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。