「心と思いと命を尽くして」行うこと。

おはようございます、satoてす。

イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。

口語訳聖書 マタイによる福音書22章37節

これは、聖書の中に書かれている多くの御言葉の中で「最も大切な戒め」とイエス様が仰った言葉です。
心と思いと命を尽くして、神様を愛すること。
それが大事なことだ、と話されました。

ところで、「心と思いと命を尽くして」って、どういうことでしょうか?

摂理で話された御言葉でこのことが詳しく説明されました。

自分が今まで生きていた生をすべて捨てて、新しい物を手に入れる。これが「心と思いと命を尽くすこと」だ。

自分が過去生きてきた習慣、体質、思考の癖…。
これらを捨てて生きる、というのは決して簡単なことではありません。だから、この生を生きられる確率は10%だ、と表現されていました。一つでも捨てられていないと手に入れられないからです。
しかし、それらを全て捨てて、新たに手に入れてこそ「新たな生」、「新たな自分」を手に入れることが出来ます。
そして、それはどんな人でも必ずする必要があることです。いつも新しく変化してこそ、新しい物を手に入れ、次元を上げて生きられるからです。

だから、神様はこうおっしゃいます。

苦労しても、命の道に行きなさい。

私もこの御言葉を聞きながら私が捨てねばならないものを見つけました。

自分の思い通りに、自分がしたいと思ったことをできることを願う人生

でした。

私は昔から人に合わせていてずっと苦しかったのです。
それで、摂理に来てからずっとこの生を生きたいと思って、色々勝手なことをやってきました。良心が止めることもあったり、葛藤しながら少しずつ御言葉通りに調節はしているものの、時たま自分のやりたい気持ちに流されてしまうことも多くありました。

でもですね。

そういう生き方をすることで、大切な人が重荷を負うんです。

私がやりたくないから、と自分がすべきことをしなければ、その分を埋め合わせ。

私がやりたいから、としてはいけないことをしてしまえば、そこから私を戻すために力を入れ。

迷惑を掛けてしまった人がいれば、代わりに謝り…。

私がやりたいことを出来ずに、「止められている」と思って苛々を溜めていたら、それをなだめるために神経を使い。

私が心のままに話す言葉に傷を受け、心配し、やきもきし…

普通の人だったら、絶対に離れてしまうような、そういう状況で、でも、その人は手を離しませんでした。
そうして、私にすべてを与えてくださったのです。本当に大切な、宝物を。永遠に何にも変えられない貴重な、貴重な、命のような愛と祝福を。

もう、これ以上望むことがあるでしょうか?

だから、私は「自分がしたい通りに生きる生」を捨てて「その人が願う生」を生きていきます。

正直、この生を生きることは簡単ではありません。
なんせ、私の脳の特性上、「自分のしたい通りにすること」に執着しやすいからです。

でも、「命を尽くせば」必ずできる。
その御言葉を信じて、新たに挑戦していきます!

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この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。