イサクと井戸の話~井戸を掘る意味、日常の価値~

おはようございます、satoです。

昨日に引き続き創世記から「イサク」のしたことについての話です。
昨日はイサクの紹介、と言いながら半分が父アブラハムと子ヤコブの解説だったという…(笑)
改めて、イサクの紹介をしてから、井戸の話をしようと思います。

イサクの紹介(再)

アブラハムの息子で、100歳という高齢の時に生まれました。
異母兄弟にイシマエルがいますが、彼はイスラム教の始祖ムハンマドの先祖になります。なので、イスラム教ではイシマエルが正統な跡継ぎとされている、らしいです。
一方、ユダヤ教、そしてその流れを継ぐキリスト教はイサクを正統な跡継ぎとしています。

イサクの子として生まれたのがエサウとヤコブ。
エサウは「長子の特権」をレンズ豆のスープで売った、ということで有名です。悪い意味で…。

イサクの信仰が篤いことはアブラハムがイサクを捧げる際、自分が捧げ物となることを知ってなお暴れることなく、その身を捧げようとしたことからもわかりますが、残念なことにイサクがしたことであまり有名なエピソードはありません。実は、イサクがメインで書かれている聖書の箇所は創世記26章くらいなんですよね…(´・ω・`)短い…(´・ω:;.:…

そんな彼がしたことで聖書に書かれているのが井戸を掘ることでした。

そしてイサクは父アブラハムの時に人々の掘った水の井戸を再び掘った。アブラハムの死後、ペリシテびとがふさいだからである。イサクは父がつけた名にしたがってそれらに名をつけた。しかしイサクのしもべたちが谷の中を掘って、そこにわき出る水の井戸を見つけたとき、ゲラルの羊飼たちは、「この水はわれわれのものだ」と言って、イサクの羊飼たちと争ったので、イサクはその井戸の名をエセクと名づけた。彼らが彼と争ったからである。彼らはまた一つの井戸を掘ったが、これをも争ったので、名をシテナと名づけた。イサクはそこから移ってまた一つの井戸を掘ったが、彼らはこれを争わなかったので、その名をレホボテと名づけて言った、「いま主がわれわれの場所を広げられたから、われわれはこの地にふえるであろう」。-創世記26章18-22節

…うん、地味だ。
しかし、これにはちゃんとした意味があったのです。

どうして井戸を掘るのか?

そもそも、どうして井戸を掘るのでしょうか?また、井戸ってどういう意味があるでしょうか?
それを深く知るためには、摂理のBSでも伝えられる時代性を考える必要があります。つまり、「当時の状況」を考慮することですね。

アブラハムの時からずっと、アブラハムやイサクは羊や牛を飼っていました。
アブラハムも、イサクも、ヤコブも、羊を放牧して、あちらこちら巡っていたわけです。

アブラムと共に行ったロトも羊、牛および天幕を持っていた。-創世記13章5節

彼(イサク)は富み、またますます栄えて非常に裕福になり、羊の群れ、牛の群れ及び多くのしもべを持つようになったので、ペリシテびとは彼をねたんだ。-創世記26章13-14節

また、これはアブラハムたちだけでなく、この地域の人達がそのように生活していました。

ゲラルの羊飼たちは、「この水はわれわれのものだ」と言って、イサクの羊飼たちと争ったので、イサクはその井戸の名をエセクと名づけた。彼らが彼と争ったからである。-創世記26章20節

見ると野に一つの井戸があって、そのかたわらに羊の三つの群れが伏していた。人々はその井戸から群れに水を飲ませるのであったが、井戸の口には大きな石があった。群れが皆そこに集まると、人々は井戸の口から石をころがして羊に水を飲ませ、その石をまた井戸の口の元のところに返しておくのである。
-創世記29章2-3節

さて、羊や牛を飼うにあたって必要なのが牧草です。
この内牧草は…至る所にあるのではないか、と思いますが、水は川が近くになければ井戸を掘り出すしかありません。
つまり、井戸というのは自分たちが羊を飼う場所には必ず必要になります。言い換えると井戸がある、ということがすなわち「自分の領地」なのです。
そう考えると、先程引用した聖句で「ゲラルの羊飼いとイサクの羊飼いが喧嘩した」という理由も分かります。つまり、領土争いなのです。

「井戸を掘ること」の神様の御心

引用した聖句の前に、こんな話があります。

イサクは飢饉のためにペリシテの王アビメレクのところに行きます。
そして、そこで羊や牛、財産を増やし力をつけていきます。これは神様が彼を祝福してくださったからです。
ところが、それを見たペリシテ人が妬み、アブラハムの時に掘った井戸を全て埋めてしまいました。
それをイサクは掘り起こしたのでした。

井戸を埋められた、ということはそこをペリシテ人が取った、ということができます。
そして、それを取り戻したイサク。彼はすごく地味で、静かでしたが自分の先祖の地、神様の約束の地を取り戻し、広げていっていたのです。

神様はアブラハムに次のように約束しました。

ロトがアブラム(アブラハム)に別れた後に、主はアブラムに言われた、「目をあげてあなたのいる所から北、南、東、西を見わたしなさい。すべてあなたが見わたす地は、永久にあなたとあなたの子孫に与えます。-創世記13章14-15節

このように、アブラハムの見渡す土地を「あなたとその子孫の地にする」という約束がありました。
その約束を果たすため、イサクが井戸を掘るようにさせたのです。

以上の話は、次の神様の言葉によって保障されます。

その夜、主は彼に現れて言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神である。あなたは恐れてはならない。わたしはあなたと共におって、あなたを祝福し、わたしのしもべアブラハムのゆえにあなたの子孫を増すであろう」。-創世記26章24節

イサクも土地争いをするのが怖かったのだと思います。それに対して神様が「恐れるな」と話し、アブラハムとの約束を思い起こさせます。

この話の教訓

と、ここで終わると単なる聖書の知識になってしまいますが、実はこのイサクの話はとても大事なことを私たちに示唆します。

それは、私達が普段何気なく生活していること、そこに神様の大きな御心があるかもしれないということです。

神様の働き、と聞くと「3000人が一斉に伝道された」とか「手をおいて祈ると癒やされた」とか、そういう派手なことを考えがちです。
しかし、イサクの生活である「井戸を掘る」ということを通して、「神様がカナンの全地を与える」という御心を成していったのです。

このように、聖書を読むとか、伝道するとか、そういう「信仰的な、特別なこと」だけでなくその大学に行って勉強するとかゴミを拾うとか、そんなことを通して神様が御心を成すことがあります。

だから、自分の普段している行為、行動がとても貴重なものなんだと分かって、御心が分からずとも感謝して、喜んで生きていきましょう!

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。