鄭明析先生の裁判についての疑問点

おはようございます、satoです。
本日は、現在進行中の鄭明析先生の裁判について気になることがあったので、それを書きたいと思います。

現在、「鄭明析先生は性加害を行なった」という複数人の元信徒による訴えを受けて、刑事裁判が行われています。
これに対して、私個人(と多くの摂理人)は鄭明析先生のこれまでの行動と人格、神様への信仰を考えると「性加害をしている」とは考えられないと判断しています。これについてはこれまでの私の記事、及び他の摂理の人の書いた記事を読んでもらえるとその一端が感じられるのではないか、と思います。

しかし、「それはあくまで個人の主観による判断にすぎない」と言われたら確かにそうです。
正直に話すと私自身もそう思っています。この認識自体は客観的な証拠とは言えません。
しかし、一方で訴え通りの「性加害が行われた」という証拠が出ている、というわけでもありません。
あくまで私が知っている範囲ではありますが、これに関して判断材料となる情報とそれに対する私の考察をここに記したいと思います。

1. 洗脳による性加害が行われたかどうかについて

まず、鄭明析先生を訴える検察側の主張として「御言葉によって自由意志を奪った状態にして、自分に逆らえないようにして性加害を行なった」というものがあります。
また、裁判官が「鄭明析先生が無罪であると考えている人たちの主張」を理由にこちら側の証人を受け付けないことがあります。
この二つの共通点は摂理にいる間は洗脳状態であるという認識です
この認識に対する考察は私のサイトの中でもいくつかなされています。これについては下記を参照ください。

洗脳なのか、信仰なのか、それが問題だ

続・洗脳かどうかが問題…か?

要約すると「摂理の御言葉を聞いて自由意志が奪われる状態にはならない」というのが私の主張です。
この辺は私のサイト内の記事、特に推し活関連の話を見てもらえると「洗脳されている」とは言い難い状態である、というのが感じられるのではないかと思います。
個人的には摂理の御言葉を聞いて「ちょっと責められているなぁ…」と感じたりすることはありますが、(多少の主観は入っていると思いますが)だからといって自分の意志が奪われているとは感じません。
実は、告訴している人たちの(公開されている情報から分かる)生活を見ても「洗脳された状態である」とは言い難い状態であることが知られています。

ところで、先ほどの検察側の主張をもう少し詳しく説明すると、以下の3段階に分けることができるそうです。

  • 鄭明析先生を再臨したイエスまたはメシアと仰ぐようにさせる
  • 先生の言葉は神様の言葉だから、これに逆らえば、癌にかかったり、事故が起きたり、地獄に行くと恐怖感を植える
  • 性的身体接触(わいせつ、姦淫)について抵抗できない状態にする

これについて、摂理に来て御言葉を長く聞いた私からすると、いずれの内容の御言葉を聞いたこともありません。
まず、最初の主張に対しては鄭明析先生は一貫してメシアはただ一人、イエス様であると主張しています。
また、逆らったら地獄に行くとか、事故が起こるというように「先生の言葉は絶対である」という話は一切していません。また、実際に先生の言葉に逆らったことで癌や病気になったり、事故が起こったという話も聞きません(御言葉を守れなかったけど、先生がお祈りしたことで事故を免れたという話は聞きます)
最後の主張については御言葉と真逆と言って良く、神様の愛は肉体的、性的な愛でなく、精神的な愛、霊的な愛であり、性的な身体接触はすべきでないと御言葉で話しています。

以上の主張については摂理の御言葉に触れていただけると分かりやすいのですが、実は私が注目している点は別にあります。
この主張は私たち鄭明析先生が無実であると考えている人たちだけでなく、鄭明析先生を訴えている人たちも同様に「摂理の御言葉でこのようには話していない、洗脳は起きていない」と認識している、ということが判明しています。
証人喚問の最中、弁護人からの質問に対して告訴している人

  • 性的な愛を通じて救いを得るといった教えはなかった
  • 性的な要求を拒否したら地獄に行くという話もなかった
  • 性的な意味での新郎・新婦だと学んだことはない
  • 違法な行為を容認するような教えはなかった

と自ら証言しているのです。
これは「洗脳によって性加害に抵抗できなかった」という検察側の主張と明らかに矛盾します。

2. 性加害があったという客観的証拠がない

次に、鄭明析先生が性加害を行なったという複数の証言がありますが、訴えを裏付ける客観的な証拠が一切出ていない、という点について考察をします。
性加害があったという証言をしている人は複数いるのですが、告訴している人以外は実際にその現場を見ていないとも話しています。この時点で私は違和感を感じるのですが、それだけでなく(現時点で私が知る限りで)遺伝子検査の結果や映像等の客観的な証拠が一切出ていないということが明らかになっています。
唯一提出された物理的な証拠として音声ファイルがありますが、この音声ファイルは

  • 原本となるファイルが入ったスマホは売って手元にない
  • iCloudに保存されたとされるファイルは検察が誤って消してしまった
  • 提出された音声ファイルの一部でNetflixの放送で公開された部分について、台湾の有名な音声分析機関は「多数回の編集の痕跡がみられる」との結論と出しており、信憑性が疑わしいと言われている(12/31追記・修正)
  • 裁判中に実際に音声ファイルが聞かれたわけではない

と、証拠能力があるか疑わしい部分があります。この問題についてはこちらを参照ください。

さらに、告訴している人が実際に被害を受けたとされる時間に鄭明析先生がスポーツをしているのを本人が離れた場所で観戦している映像が存在していることや、別の告訴している人が(鄭明析先生が、でなく)鄭明析先生に触っている音声ファイルを提出しているということも明らかになっています。
つまり、性加害をしているという客観的かつ有力な証拠はなく、逆にしていないという客観的な証拠は存在しているという状態であるわけです。

つまり?

「御言葉で恐怖を与えるなどして性加害に対して抵抗できない状態にした」という検察側の主張は摂理の現状に合っていないだけでなく、告訴している人たちも実際にないことを証言しています。

さらに、鄭明析先生が性加害をした、という証拠がない、というだけでなく複数の「鄭明析先生が性加害をしていない」という証拠が存在している状態です。

以上を踏まえると、「性加害があった」という検察側の主張は自分の主観を除いたとしても筋が通らず、裁判の基本である「推定無罪の原則」と合わせて「鄭明析先生は法的に罪が認められない」と考えるのが妥当と私は考えます。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。