「不安」と相談、そして対話。

おはようございます、satoです。

昨日自分の不調の原因を自分の特性を中心に考えていたのですが、最後の最後で原因を見出すことができました。
今日はこの話についてしたいと思います。

思えば、私不調に陥る時に一番最初に来るのは何か重大な決定すべき事にぶつかるということでした。
以前調子を崩していた時を振り返ると、

・教員採用試験を受けた時に、受かったら教員になるかどうか

・新しいバイト先をどこにするか、迷っている時

ということでした。
要約すると、自分がすべきこと、方針が曖昧になるとストレスがかなり強くなるということでした。
これは「想像力の欠如」という特性で「自分がこれからすることを具体的に考えることに時間がかかる」というところがあり、決定がなかなかできないところから来ています。
その上、ある程度時期が迫らないと「後回し」にする、とか時間に関する見立てがかなり甘い、とかそういうところも影響しています。

今回も、確かにそういう壁にぶつかっています。
具体的には4月から「どこで働くのか」を選択しなければならない、という状態なのです。
ある程度の方針は決まっていて、候補は2つあります。より具体的に、どこで働くのかも候補が上がっています。
そして、今までと違うのは一人で悩まず、神様に相談し、教会の指導者や然るべき人に相談して進めているということです。
今までだったら一人で考え不安に陥り、そして必要な人と相談できず色々苦しみました。それを踏まえて、今回は前々から相談するようにしていました。

それでも、やはり不安は消えません。
やるべきことが他にもたくさんあるので(直近では、学会で発表する資料を作成するとか、新しい論文を作成するためのデータを纏めるとか)、同時に進められない、何をしたらいいか分からない、というところがあるのです。

そして一番の問題は、今週に限っていうなら、御言葉で具体的に方針を掴みきれなかったところです。
何をしたら良いのか、これまでだったら掴めていた方針が急に掴めなくなりました。御言葉を何回か読み返しているのですが、やはり体質になっていないようで「掴むまで」読むことはできなかったのです。
今週の御言葉でいうなら「考えのスケールを神様の次元まで大きくする(時間、空間)」とか「聖三位とと共に生きる生に挑戦する」とかそういうところなのですが、まだしっくり来ていませんでした。どうしたら良いのかずっと考えていました。

…でも、昨日お祈りしてわかったのは、聖三位が願っていたのは相談してほしいとでした。
確かに自分は自分の想いを率直に告げていたのですが、足りなかったのは「聖三位に委ねる」というところだったのです。聖三位の話を聞いてなかったなぁと。
それって一方的な話で、対話になっていませんでした…(´;ω;`)
それで、私が直近で密かに願っていることをお祈りして、神様に委ねます、と話しました。そうしたら心がスッキリしました!

もちろん、自分が願うことはたくさんあるし、自分の思い、考えが出てくることもあります。
しかし、聖三位が願っているのは「その心のままに生きる」ことではありません。神様の目からしたらもっと良い方法があるのに、その行いで台無しにしてしまうかもしれないからです。
でも、聖三位が願っているのは「その心を押し殺して、神様の言葉に従う」ことでもありません。そうしたら、「無理やり」することになってお互いに苦しいし何かあったときに「無理やりやらされた」と傷を受けるからです。
聖三位が願うのは「自分の考えていることを全て告げ、そして神様の考えに耳を傾ける」ことでした。私たちは神様の愛の対象ですからね。
そして、それが「神様の考えに至ること」だし、「聖三位と共に生きること」でした。

また少し、変化する兆しが見えました。
体調は絶不調ですが(´;ω;`)この機会に自分の考えと心を新たにしたいと思います!

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。