わだかまりと御言葉とp進微分方程式

おはようございます、satoです。

ここ最近はp進微分方程式とは何かについて勉強していました。
元々微分方程式というのは「関数の微分(導関数や二階導関数など)の関係式」で、関数の微分(瞬間の変化量)という局所的な情報から大域的な関数が導かれるとても大事な概念です。
物理学を勉強していると「力は質量と加速度の積」という古典ニュートン力学の結果に出会います。高校の時は等加速度運動しかやってませんが、この加速度とは「距離関数の二階導関数」なのです。ここだけでなく多くのところで微分方程式は現れます。

ところで、微分というのは「連続性」がないと定義できないのでp進体のような「離散的」なものだと少し考えにくいのです。
ところが、この微分の形式的な法則(代数的性質)を持っていくと「離散的な」世界でも微分が定義できます。それがp進微分方程式です。

そんなことを考えながら、来週の仕事の準備をしていたのですが、どうも心がモヤモヤします。祈りはむしろはっきりしてるのに、心は熱いのに、なんか行えない。指針がモヤモヤしてる。
なので、花火の音もするから、といってチャリでしばらくぶらぶらしていました。

私はチャリでぶらっとするのがとても好きです。チャリで移動するのは本当に楽しいです。パソコンを打つのと同じくらいかも。
特にこの時期の夜はとても涼しく静かで眩しくないので、とても落ち着きます。
そして、チャリで移動しているときが一番考えがまとまります。数学のことにしても、信仰にしても、自分の心と向き合うにしても。

今日は自分の心と向き合ってました。話しながら、やりたいという心は熱いのに、どうしていざやるとなって冷めるのか深く向き合っていました。
やるときになって「怖い」という感情が支配する、というような…でも、これは目的に向かえば越えられそうだし…と思っているうちに、私が幼少の頃から抱えていたある感情に気づきました。そして、涙が出ていました。
それは、「寂しかった、自分が話しかけても聞いてもらえなかった」という感情でした。
この経験?のために、私は「話しかけても返事がもらえなかったら諦める」ことを繰り返してました。そういえば、小学生の時はもっと荒れていたなぁ私…と思いながら、ようやく気づけた喜びで泣いてました。

気がついたら、心の底から笑っている私に気づきました。今まで何をやっても「心の底は動かなかった」のですが、ようやく私の認識の中で「心の底から」笑ってました。ずっと沈んでたものがなくなった感じがしました。

子供のときの私と、今の私では全く状況が違うし記憶すら共有できていません。しかし、それでも「心の構造」が分かれば過去の私に働きかけることもできるのです。ちょうど普通では微分が考えられない世界で微分方程式を作るように。

そういう御言葉を下さった神様に本当に感謝します。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。