伝えることって、難しい。

おはようございます、satoです。

昨日から仕事における極的に難しい状況に置かれていますが、今日もまだ解決できていません…。
端的にいうと、今の難しい状況の根本にあるのは「人に思いを伝えること」が上手くできていない、というところです。

私が人に教える時には基本「数学の考え方を分かってもらえるように」しています。
その為、少々回りくどかったり、書き方が曖昧なところもあり、それに昨日は気づいて再構成しました。
再構成した際に「何を教えるのか」「どのような考えの流れなのか」をうまく伝えられるように準備し、どのように表現するのかもしっかり書くなどの工夫はしました。

それでも、難しいのは「聞いてくれない」子供たちの心をどう動かすのか、というところにあります。

私は強い語調で従わせる、というやり方がそこまで得意ではありません。
そして、実際にやってもうまくできません。
今までの仕事では「ある程度のやる気がある」人を対象に教えていたので、それでもまだうまく教えることができます。

学びたい、という意志が強い人ほど、質問が明確で、しっかり人の話を聞いてくれます。
たとえ数学が苦手でも、どこがわからないのかをしっかり教えてくれますし、できないときにははっきりと話します。
そうすると、私はそこを解決するためのアドバイスをしてあげられます。

一番難しいのは「聞こうともしない」人を対象に教えることです。そもそも聞こうとしないので伝えることすらできません。
そういう人を放っておく、ということもできなくはありませんが…今の仕事はそういう人たちに少しでも教えることが求められます。
その場合、私の特性上の欠点(想像力の欠如、耳からの聞き取りが苦手、言葉がとっさに出ない)が悪く働いて、効果的な指導ができない…というところが難しさにあります。

ここまで書いて、神様もそうだなと思いました。

「自分の問題を解決しよう」「神様を愛そう」

そういう人に対して御言葉を伝えるのはとても易しいです。自ら問題点を話してくれますから。

しかし、そうでない「神様を信じない」「問題を気にしない」「何も考えない」…そういう人に御言葉を伝えるのはとても簡単ではありません。
それでも、神様はそういう人に対しても御言葉を伝えます。何故かって?神様がその人を愛しているからです。

そういうことを考えると、私の「言うことを聞いてくれない」悩みなど吹っ飛ぶくらい、神様の哀切な心情を感じられます。
これと同じように、まずは私が神様の前で「自分の問題を話す」人になり、自ら神様に近づく人になろうと思いました。
そして、神様の心情と少しでも同じように、自分の話を聞いてくれない人に最後まで伝える努力をしてみます。
今日は瞬間「諦め」の心が出てしまったので、反省して最後までやってみます。

そうすることで、変わることが必ずあるから。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。