外側で働きかける実体的な神様の愛

おはようございます、satoです。
昨日こちらに「自分の外側と内側の話」を書きました。要約すると「今まで色々あって内面の空想世界、自分の内面に長いこと籠っていたけど、それを抜け出して、自分の外側の世界、人や神様との繋がりを大切にしていきたい」ということでした。
ちょっと追加すると、色々あって空想世界に入り込んでいたのは二つ要因があって

・人より周りの感情や心情に対して敏感であったために、「自分に対する悪感情や無関心」を感じ取って辛かった

・漫画や小説などの本をたくさん読んでいた結果、「漫画や小説の表現」で現実を認識していた

特に後者が大きいのかなと思います。

さて、そんな話をした次の日、すなわち本日の主日礼拝の主題が

「人の心にすべて合わせてあげて生きることはできない」

でした。昨日の話の中で分かった自分の問題点が「自分の心に合わせてほしい、自分の世界を分かってほしい」という心が強すぎるということだったのですが、まさにそのまんまで最初にこの主題を見たときに爆笑していました笑笑
(私は礼拝中の説教時に出すパワポの操作などの裏方作業をやる関係で礼拝前に御言葉を見ることがあるのですが、そのタイミングでのことす。説教中ではありません笑)

御言葉中でも、人の心の中で「邪悪で腐った心」の中に

・うやむやでぼんやりとしている心と考え

・本当に怠けている心とやりたくなくて諦める心

・自分の心にだけ合わせてくれることを願う自己中心主義の心、利己主義の心、自分中心の心

・自分の主張ばかりし、我を張って、自分しか知らない、無知で獣のような心

と、「私やんけ」としか思えない、完全に昨日の話聞いてましたよね??ってものがありました。

鄭明析先生が韓国で書いて送ってくださる御言葉なので、当然私の想像の外であり(なんなら書いている時には私がこの話をしていたわけでないので、鄭明析先生はもちろん聞いてはいないです)、説教してくださる牧師さんもこの話を聞いていたわけではないので、これは完全に神様しかありません。

また、御言葉を聞いている中で「あ、神様は与えようとしてくれて話しているのか」「神様がもっと自分を良くして一緒に生きようとしていて話してくれているのか」と、神様の愛から来る心が感じ取れるようになっていました。
御言葉を聞きながら神様の愛を感じたのはこれが初めて…とまでは言いませんが、久々でした。

実は今日、いつもより自分の外側を意識してちょっとおしゃれをした(ワックスつけて髪を整えたり、お手入れしたり)のですが、それを分かってくださる神様を感じました。

その後のスポーツ(バレー)でも自分の外側を意識して内面世界に潜り込まないようにしながら色々やっていると、心なしかいつもよりパフォーマンスが良かったです。キャプテンとしても外側の人を意識しながら話せるようになりましたし、言葉自体もスムーズに話せていました。時たま変な表現がありましたが笑
自分が本当にやろうとして手を伸ばした時にボールを上げれたり、強い人のスパイクをブロックできたり(これは本当に嬉しかった!)…でも、一番嬉しかったのは人の思いを感じながら、それを繋いでいくことができたことです。

今日だけでも、神様が働きかけてくださる愛と、思った以上に外側の世界も安心できる世界だと感じられたのが良かったです。この調子で、明日以降も続けていきたいと思いました。本当に感謝します(´っ・ω・)っ

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。