摂理人の悟りの箴言:「忘れたら死ぬ」その2~音楽、スポーツ関係を中心に~

こんばんは、satoです。
全世界の摂理人に鄭明析先生が出した宿題「忘れたら死ぬ」の箴言を書くこと。
今日も引き続き「忘れたら死ぬ」に関する箴言を書いていきたいと思います。
今回は「スポーツ」や「音楽」など日々の活動を通しての悟りを。
51.リズムを忘れたら、音楽が死ぬ。このように時を忘れたら、生活が死ぬ。
52.音程を忘れたら、歌が死ぬ。
53.詞に込められた心情を忘れたら、歌が死ぬ。このように、心情を忘れたら、御言葉が死ぬ。
54.楽器の特性を忘れたら、演奏が死ぬ。
55.楽器のケアを忘れたら、楽器が死ぬ。このように、自己管理を忘れたら、自分が死ぬ。
56.自分を忘れたら、自分が死ぬ。
57.自分に向けられた愛を忘れたら、自分の心が死ぬ。
58.自己肯定を忘れたら、自分が死ぬし、死ぬほどの苦しみを味わう。
59.歌詞を忘れたら、歌えない。このように、御言葉を忘れたら、行いが死ぬ。
60.互いの呼吸を忘れたら、セッションが死ぬ。このように、天を忘れたら賛美が死ぬ。
61.旋律を忘れたら、曲が死ぬ。このように、過去との繋がりや未来への展望を忘れたら、人生が死ぬ。
62.メロディがないと、曲が死ぬ。このように、平坦な人生は味がない。つまり、新しいイベントを忘れたら、人生が死ぬ。
63.指揮を忘れたら、オーケストラが死ぬ。互いの演奏が合わないからだ。
このように、神様を忘れたら、私たち摂理人は互いに合わなくて死ぬ。
64.音程をとり忘れると、ハーモニーが死ぬ。このように、自分一人が死ぬと、皆も死ぬ。
65.楽譜を忘れたら、演奏ができなくて演奏が死ぬ。そうならないためには、暗譜しなさい。
66.これと同じく、御言葉を忘れると行えなくて死ぬから、そうならないために暗記しなさい。
67.水泳で息継ぎを忘れたら、溺れて死ぬ。そのように、生活でも休憩を忘れたら死ぬ。
68.基本動作を忘れたら、試合が死ぬ。生活でもそうだ。
69.平和を忘れたら、競技が死ぬ。ラフプレーがはびこり、本来の「楽しい」スポーツが死んでしまう。
70.練習を忘れたら、試合で死ぬ。
71.アイコンタクトを忘れたら、パスが死ぬ。このように、神様を見なければ祈りが死に、対話が死ぬ。
72.しかし、まずは互いの疎通だ。疎通を忘れたら、アイコンタクトが死ぬ。
73.走ることを忘れたら、試合で自分が死ぬ。生活でも同じく、自分が走らなければ使われず、自分が死ぬ。
74.走ることを忘れたら、体力がなくて生活も死ぬ。すべきことができなくて、仕事も死ぬ。
75.走ることを忘れたら、動かなくて体が死ぬ。
76.走ることを忘れたら、心も死ぬ。
77.走ることを忘れたら、健康管理も死ぬ。
78.天を忘れたら、スポーツが死ぬ。天に栄光を帰するスポーツが本当に生きたスポーツだ。
79.愛を忘れたら、スポーツが死ぬ。
80.一日でも練習を忘れたら、球感が死ぬ。(卓球など球技全般で)このように、一日でも祈りを忘れると、霊感が死ぬ。
81.一日でも練習を忘れたら、燃える心が死ぬ。このように、一日でも管理を忘れると命に対する熱情が死ぬ。
82.一日でも練習を忘れたら、成長が止まって自分が死んでいる。このように、一日でもすべきことを忘れたら、その分成長が止まって自分が死んでいる。
83.ポジションを忘れて動いたら、チームが死ぬ。このように、自分の位置を忘れて動いたら、組織が死ぬ。
84.監督を忘れたら、チームが死ぬ。このように、頭であるキリストを忘れたら、教会が死ぬ。
(参考:コリント人への第一の手紙12章27節「あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。 」)
85.コート内でも指揮官を忘れたら、チームが死ぬ。このように、中心を忘れたら死ぬ。
86.パスでもシュートでも、ボールの中心を当てることを忘れたキックでは力を発揮できず死んだものとなる。
今日は音楽とスポーツから「忘れたら死ぬ」について書きました。
生活との繋がりも感じられてハレルヤですね(≧∇≦)/

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。