賛美の練習を通して感じた共にする喜び

こんばんは、satoです。

今日は「神様と共にする」ということがどれほどいいか体感した話を書きたいと思います。
摂理では毎日明け方に礼拝を捧げています。また、主日礼拝、水曜礼拝も捧げます。
とても多い気がしますが…。

あなたが祭壇の上にささぐべき物は次の通りである。すなわち当歳の小羊二頭を毎日絶やすことなくささげなければならない。その一頭の小羊は朝にこれをささげ、他の一頭の小羊は夕にこれをささげなければならない。

口語訳聖書 出エジプト記29章38-39節

これは旧約聖書にも書かれていることなのです。
旧約時代は捧げ物を持って神様に近づきました。言い換えると、毎朝と夕に神様のことを考え、捧げました。

このように、今も神様に明け方と言う最初の時間を持って愛を捧げる、それが毎朝明け方に礼拝を捧げる意味です。
礼拝の最初には賛美を神様に捧げるのですが、その賛美を導く使命があります。
この使命を私がやっていた時のことです。

明け方の賛美をどうしようかな…と考えていたときに「勢いよく昇ろう」を捧げたい!という強い感動を受けました。
とてもテンポの良い曲で、歌詞も今の流れに合っている。これが良さそうだと思いました。
しかし…この賛美を捧げるには一つ懸念がありました。
それは「ラップ」です。
この曲にはラップがあってそれがとても良い歌詞なのですが、テンポが速く口が回らなかったりリズムが合わなくてどうもうまく歌えません…。
音程が合わないのはともかくとして、リズムが合わないのはさすがに賛美を導く立場として危うい…。

そういうわけで、私は「賛美の練習」をすることにしました。
ちょうど最近教会に来た後輩が一緒にいたので、とりあえず一回歌いました。
いつも歌っているだけあって、歌の部分はほとんどスムーズにできてましたが…
ラップの部分がめちゃくちゃ…OTL
そもそも歌い方が違っていたり、タイミングが合わず…後輩には思いきり笑われました。

それでもめげずに、何回もラップの部分を繰り返し練習しました。
後輩くんも一緒に曲を流して付き合ってくれました。
そうして30分くらいすると、大分スムーズにラップの部分が歌えるようになりました。
さらに、この曲はラップの入りや切り替え部分も難しいのですが、どう歌えば良いのか調節して歌えるようにしました。

そんな感じで夜が過ぎ、そして明け方の時間。
ちょっと寝坊してしまいましたが、明け方の祈りを捧げ、そして賛美の時間。
少し緊張しましたが、何回も捧げたのでスムーズにラップ部分も歌えました!
そのとき、後輩くんを見たときに楽しそうに首を振りながら捧げているのが見えたのですが…。
私はそれを見た瞬間

主が私の賛美を見守りながら、頷いてくれている

感動が来ました。
それを見ながら、一気に色々なことが浮かびました。

あぁ、私がラップ部分をしっかり歌えるように練習しているのを全てご覧になっていたのだ…。
主が共に練習してくれていたんだ…。
だから、私を見ながら見守ってくれていたんだ…

そうか…できないことがあったら何回も練習すればいいんだ。
主と一緒に練習すれば。そうすることが主にとっても嬉しいし、経緯になるんだ。
本当に共にすることが喜びなんだ…。

ということが一瞬で浮かびましたが、賛美中なので歌いきりました。
そこから、もっと切実に主と共にしたい思いになりました。

できないことがあっても繰り返し練習する。
そしてできるようにする。賛美やチアならやる目標がはっきり決まっているけど、生活でもこれと同じ。
今年中に、できないところを主と一緒にやっていきます!

そして…ちゃんと歌えるようになりました!
練習に付き合ってくださり感謝します!

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。