こんばんは、satoです。
元々私は「感情を表に出す」のが苦手です。喜びも、悲しみも、素直に自分を出すことができませんでした。
昔から「感情を押し殺す」癖があったのです。
それゆえ、摂理に来てもなかなか楽しめなかったり、素直に愛を受けたり愛したりすることがうまくいかないことが多いです。
それに加えて何故か知りませんが、私は「失敗」、特に人に迷惑をかけるような失敗をしたときには押しつぶされるほどの精神的重圧に襲われます。
「喜んでも、そのことで苦しくなるなら、いっそ喜ばない方がいい」って考えで、私はどうせうまく行かないだろう…という考えになっていました。
だから、失敗したときも「あぁ、そうだよね…やっぱり」と考えたり、逆に「そのことから何かを学ぼう」と考えたりします。
例えば、仮免試験に失敗したときは後者のパターンで切り替え、最終的には再試験で合格しました。
しかし、実際のところこのことでショックを受けていないわけではなかったのです。
それはそうですよね、人は感じるか否かだけで、実際感情というものはあるのですから…。
でも、このことに向き合わないことで、それを回避していたのでした。その行動の代表的なものがネットサーフィンでした。
振り返ると、私がネットサーフィンに没頭しているときって選択ミスをしたときとか、人に迷惑をかける失敗をした、と思ったときが多いんですよね。あとは、その余波…。
こうやって「悲しい、ショック」という感情を押し殺そうとしている私。
神様はどのように見ているのかというと…。
「人に迷惑をかける」レベルのやらかしをしそうなある時。早く解決しないといけないのですが、一向にうまく行かない…。
色々探してみたのですがうまく行かず、ショックを受けていました。
もう駄目かな…とその後のことを考えていたのですが、実はこれも「思ったようにならなかった、どうしよう…」というショックを押し殺していたのでした。
これに対して神様はこうおっしゃいました。
「一番ショックなのは、あなたなのではないか?」
…えぇ、そうです。
本当は私が一番ショックなんです。どうしたらいいのか分からず、このままでは皆に迷惑をかける…。
そのことにショックを受けていたんです。私が、気づかなかった、気づかないようにしていただけで…。
この一言で、私はその思いと涙を神様に告げました。本当にどうしたらいいのか分からない…って(´・ω・`)
そうしたら、心が落ち着いて、また活動する気持ちになりました。
このことで分かったのですが、私が平素力を出せない理由は「失敗したことに対してショックを受けている自分」の心を抑え込んでいたからでした。
そう、その心を持っているときは「神様に告げればいい」んです。神様は失敗したことを怒るというより、「失敗してショックを受けている私を心配している」ことの方が多いです。
神様が怒る時、それは「人が気づいていない」から。命を失う危険があって、気づかせたいから。
すでに失敗したと分かっているのに、怖くさせて失敗しないようにしようと怒る神様じゃないのです。
「感情を押し込める」私、この問題は根深いです。この癖は今もまだ残っています。
少しずつでも、神様にその感情を告げられるように頑張ります。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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