神様の飲酒運転に対する教育。

こんばんは、satoです。

これは私が免許を取るために、自動車学校に通っていた時のことです。
ある時、自動車学校で「飲酒運転」についての授業を聞きました。

飲酒運転、それは多くの悲惨な事故を引き起こしてきました。
北海道でも多くの飲酒運転事故があり、それによって多くの命が失われました。
また、「飲酒運転をなくそう」と謳っていた市議や警察なども飲酒運転事故を起こしていました。
そのくらい危険な事故を起こす可能性が高いにもかかわらず、やる人が後を絶たない交通違反です。
そういうわけで、自動車学校ではどこでもこの教育をしています。

この授業を受けるに当たって私が最初に思ったのは「摂理に来て本当に感謝だ」ということでした。
知っている人は知っているかもしれませんが、摂理では御言葉で「お酒を飲んではいけない」と言われています。
私はお酒を昔(人付き合いのために)飲んでましたが、今は飲まなくなりました。そこまで好きでもなかったので、あまりそこで躓きませんでした。

今まで、この「お酒を飲まないこと」を当たり前のように感じてましたが、飲酒運転のことを考えると「運転するに当たって危険な要因がなくなる」ということがどれほど素晴らしいかしみじみと感じていたのです。
特に飲酒運転は重大事故が多いので、「あれがお酒を飲んだ結果…」と考えるとなおのこと感謝の気持ちが強くなりました。

しかし、一方で「摂理に来てお酒を飲むことが死に繋がると教育を受けているのに、今さら飲酒運転の教育って…」という気持ちもありました。だって、お酒飲まないし。
しかし、そこで受けた教育を通して神様は一層深い教育をしてくださいました。

授業では一つの映像を見ました。
端的にいうと、飲酒運転をした人が死亡事故を起こし、その後の被害者、加害者、周りの人の人生を描いたものでした。
感想を一言でいうと…とてもショックでした。
被害者が亡くなるということもショックでしたが、それ以上にキツかったのが両家族の悲劇的な展開。いじめ、周りからの蔑視、家族を失った苦痛。
もともとこういうものを見ると精神的に負担が掛かる私。ちょっとでもその兆候が見られると逃げてしまうほどです。

しかし、見ました。泣きそうでしたが見ました。
見て思ったのは…「お酒を飲むことがどれほど悲しい結果を生むのか」ということでした。
被害者、加害者共に平安な生活を送り、幸せな生き方をしてました。
それが、たった一つの飲酒運転で地獄のように変わってしまう。

飲酒運転は危険です。だから、それを止めようと色々な人が考えます。
しかし、そもそもお酒を少しでも飲んだら判断力が鈍り、処理能力が下がります。少しでも、です。
そんな状態で正しい判断をすることは難しいでしょう。

「タクシーで帰りたいけど20分待ち…それなら車で帰ろう。もう酔いも覚めたし」

自制が少し効かず、自己把握が少し鈍るだけで、このような判断をしてしまうのです。
しかも、ほんの少量のビールでも飲酒運転に引っ掛かるだけのアルコール量になるのです。
それ故、0.25ml以上の飲酒運転は減ったけど、それ以下のは減らないどころか増えるときもあるのだそうです。

お酒一つで、地獄の人生へ。
そうまでして、お酒を飲むことをしたいのだろうか?
でも、止められないのです。依存性が強いから。一度味を感じたら、止められなくなるのです。それは、ずっと昔に少しお酒を飲んだ私ですら感じます。

だから、お酒は飲むべきでないのです。私は強くそう思いました。
誰でも、お酒を飲んでしまえば判断力が鈍り、美味しいと思えばそれを再び飲みたくなります。そうして、いつしかほんのわずかの隙ですべてを奪われてしまう…。

私はもともと感受性が強く、特に映像からの影響は大きいです。そして、摂理に来て一層その感覚が強くなりました。だからこそ、私はあの映像を通して「お酒は飲むべきでない」と強く感じました。

だけど。
同じ映像を見ていた人は、そのように感じていないように見えました。まるで、一つのフィクションを見るかのように、等閑視していた…ように感じました。ただ一つの作り物のような、自分とは無関係なものとして。

この世の中には、多くの映像があり、多くの言葉があります。そして、誰でもその情報に簡単にアクセスできます。
テレビ、インターネットを通して見る世界は、しかし、どこか作り物のように、自分とは関係ないもののように感じられるのかもしれません。
もしかしたら、お酒だけでなく、まだ他にもあるのでしょうか?
「感覚を麻痺させ、判断を鈍らせ、正しく認識できないようにさせる」ものが。
そして、私も知らず知らずそのことに触れて鈍っている感覚が。

自分を振り返って、一つ一つ見直したいなと思いました。その感覚一つで、お酒の時と同じように「人生を壊す」ことが起こるかもしれないから。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。