おはようございます、satoです。
突然ですが、人間には誰しも「理性と感情」があります。多くの人はどちらか片方が強く、片方は弱いです。
もう少し正確に言うと、何かを判断するときや行動するときに「理性」を重んじるか、「感情」を重んじるかの違いがあるように感じます。
より理性が強い人は「何事にも冷静に判断し、対処する。ただし、理性的でないことが主体のことには弱い」し、感情が強い人は「何事にも大胆に行い、自分の心を素直に表現する。ただし、行動が衝動的」なことが多いと思います。
この理性と感情、実はどちらも大切な自分なんです。だから、どちらかが良くてどちらかが悪いというものでもありません。どちらの自分も受け入れ、お互いを受け入れることが大事です。
一方で、どちらも「神様から見たら完全でない」ところがあります。理性が強いと愛を感じられなかったりするし、感情が強い人は怒りや血気などの悪い性格によってトラブルを起こしやすいです。
そこを直してこそ、理性と感情、両方が共存できます。
ところで私は実を言うと、どちらも強いタイプのようです。
もう少し言うと、判断の根っこは感情的なのですが、アウトプットする際には理性的に行う傾向があります。
また、何かを理解するときには「その人がどのように考えているのか」の思考の流れをイメージすることが一番良いです。
それで色々判断に迷ったり苦しんだりすることも多い一方で、理性的な内容でありながら心情の籠った摂理の御言葉を通してとても恵みを受けているのです。摂理の御言葉は「神様がどのようなことを考えているのか、その心情を理解できるように言語化している」からだと思います。
人間には霊がある、と言うのは摂理の御言葉で教えられることです。
霊が成長すると肉体の心、精神、考えを治めることができるようになります。
成長のためには御言葉と祈りが必須です。早くわたしも霊を成長させて、自分の心をコントロールできるようになりたい…と摂理に長くいる今でも思います。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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